June 29, 2009

2009年6月29日(月)

名古屋では暑い日が続いている。ときどき天候が崩れて、そう言えば梅雨だったなと気づく。きのうきょうは数字的に真夏日から解放されたようだが、涼しいと言うほど涼しいわけでもない。この数日、咽喉が少し腫れていた。諸処でクーラーにあたっている影響か、あるいは風邪気味だったのかも知れないが、いつの間にか治まっていた。

 フランスの水がコップに梅雨の月/浦川聡子

昨日に続き、第二句集『水の宅急便』(二〇〇二年)に収録された一句。このフランスの水とは、具体的には、ペリエか、エビアンか、あるいはコントレックスか、そんなあたりだろうか。いずれにせよ、水源をフランスとする天然水を買って飲んでいるのだろう。俳句に固有名/商品名をそのまま入れるのも一つの方法だし、短歌ならばたぶんその方が生きた表現になりやすいとも思うのだが、この句では、フランスの水、としたゆえに、水としての質感がはっきり出て、梅雨の月とのとりあわせのおもしろさも生じていると思う。事情はそれなりに理解できていても、日本という水に満ちた国で、水を買って飲むという行為がやはりどこか妙で、しかもそれはフランスの水で、さらには水不足でもないはずの梅雨時なのだからなお妙な話である。また、この梅雨の月には、飲む人が見ている、と言うよりも、飲む人が見られている印象がある。イラスト風な、梅雨の月の呆れ顔が目に浮かぶようだ。

きょうの一首。ふだん買っているのは富士山麓が水源のものだが、ときどき他国のものも買っている。

 みづまみれの星のみづまみれの国で他国のみづを買ふみづの月/荻原裕幸

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June 28, 2009

2009年6月28日(日)

車検は略語であり、通称であるはずなのに、略さずに自動車検査と言うと、なんだか警察が怪しい車を一台一台調べているみたいで、どうもぴんと来ない。車税とか英検とかならば略しても略さなくてもよくわかる。ことばのこうした変な感触に気づくと、無意識のうちにメモをとりはじめてしまう。机上のメモが車検の文字でいっぱいになっていた。ともあれ、車検を済ませた。特に大きな問題はなかったようだが、タイヤが少し劣化していたらしいので、四本とも交換してもらった。

 引力の届いてゐたり夏の月/浦川聡子

第二句集『水の宅急便』(二〇〇二年)に収録された一句。月の引力からは潮の干満のことが連想されるが、その種の自然現象の知識から書かれた句という印象は薄い。真っ赤な夏の月を見ながら、個人の心身が影響をうけている感じを、硬質な、引力という語で把握してみせたのではないかと思う。私が、というばかりではなく、夏の夜の巷を行き交う人たちが、時折ものに憑かれたようにふるまうのを見たのだろうか。駅の周辺とかコンビニの前とか、さしたる目的もなさそうなのに、多くの人たちが群がっている光景は、言われてみると、月の引力、あの真っ赤な夏の月の引力が何らかの作用を及ぼしているに違いないと思われて来る。

きょうの一首。

 ゆうパック来て佐川来てクロネコ来てその勢ひか某勧誘が来る/荻原裕幸

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June 27, 2009

2009年6月27日(土)

午後、栄のマックストアへ。予約をとっておいたジーニアスバーで修理の相談をする。持ちこんでその場で修理の方針を決めて預けるのが最短の解決方法のようなので、そのまま入院させることにした。症状と使用環境から考えて、たぶん暑さ/熱さにやられたのではないかという話だった。パソコンも夏ばてするのか。スタッフが夏場の使用環境についてあれこれアドバイスをしてくれた。小犬の飼育について話を聞いているような気分だった。

第80期棋聖戦五番勝負第三局。木村一基八段が羽生善治棋聖に勝って二勝一敗とした。先日の名人戦第七局と同じく、愛知県豊田市岩倉町ホテルフォレスタでの対局。ネット中継がうまく見られる環境がなかったので、あとから棋譜を追う。本局は、木村が先手、羽生が後手で、定跡を踏襲した、本格的な相矢倉の進行となった。駒組で木村がやや有利に運び、それを帳消しにしようと羽生が攻勢に出る。それを木村が丁寧に受けて、攻勢に転じたあたりで羽生が投了。勝敗がすべてではあるが、双方が勝敗を超えて楽しんでいるようにも見えた一局だった。

きょうの一首。

 河骨を花の名前と知るまでの二十余年それからの二十余年/荻原裕幸

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June 26, 2009

2009年6月26日(金)

マイケル・ジャクソンさんが急死したそうだ。きょう、駅売のスポーツ紙の見出しを読んだ家人が、マイケルが死んだって書いてあるけど? と言う。病院に搬送されたのは間違いないようだけど、と答える。まず、病院に搬送されたというニュースがあって、そのために気の早い死亡説が流れているというニュースがあって、実はほんとに死亡したのだというニュースがあって、何がどうなっているのかしばらく理解不能だった。メディアはやがて急死という方向にまとまってゆく。享年五十歳。

パソコンが不調。メーカーのサポートデスクに電話を入れる。説明を聞きながらあれこれ作業をしてみたところ、どうも芳しい結果が得られない。状態的にも使用期間からしても、たぶん買い換えではなく修理ということになりそうなのだが、メーカーの通常の流れだと、手続きの日数などを含めて半月近くかかるはずなので、どうにか短日数で対応してもらう方法を相談する。とりあえず、家人の使っていた旧式に起きてもらって、当面の対応をすることにした。一世代以上前のパソコンにふだん通りの作業を求めると、嫌がっているのがものすごくよくわかる。身体の一部として考えると、限界に近い力仕事を嫌がる筋肉のようだが、意志の制御が及ばないという点では、食べ過ぎたときの胃袋に似ている気もする。

きょうの一首。現在は五枚が主流だという。三枚よりも風質がやわらかくなるのだとか。詩的なレトリックならともかく、風に硬軟があるとは知らなかった。

 扇風機の羽根の枚数いつからか五枚となる奇数枚は揺るがず/荻原裕幸

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June 25, 2009

2009年6月25日(木)

家人と二人で名古屋ではないところへ出かける。電車にしばらく揺られて、車窓の風景を楽しもうと思っていたのに、いつの間にか深い眠りに落ちていた。移動した時間や距離が感覚的にわからなくなる。駅を出ると、青葉若葉のひかりに映えて、空の広い、平らな空間がひろがっていた。大きな宮のある街で、にぎやかな場所という先入観があったのだが、意外なほど静かだった。馬とか鶏とか亀とか錦鯉とか鴉とか夏燕の姿を見る。蝉の声も聞こえた。身体が日常から解放されて、疲労がゆっくりと抜けてゆくようだった。

夕刻、歌枕としても有名な某河川に面した喫茶店に入る。屋外のテラスのような席に坐ると、川面と対岸の万緑がきれいに見える。燕が近くまで飛んで来てはまた川面の方へと往ったり来たりしている。時折川面に着水するようなしぐさを見せるのは、餌をとるためか、あるいは水浴びをしているのだろうか。珈琲を飲みながら、ぼんやりしていると、どこからか大きな音量で「夕焼け小焼け」のメロディが流れて来た。時報かあるいは鐘の代用だろうか。この曲の歌詞には少し怖いところがある。「からすといっしょにかえりましょ」というくだりで、鴉が一般的にどこに帰るのかを思うと、なんとなく怖くなるのだ。という話を家人にしたら、怖いと言って嫌がられた。

きょうの一首。

 夏至と梅雨とが奪ひあふ夕雲を炎えつきるまで眺めてそして/荻原裕幸

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June 24, 2009

2009年6月24日(水)

午後、中京大学へ。いよいよ暑くなって来て、キャンパスの男子学生は、ほぼ二人に一人が裸足にサンダルだった。ラフだとかだらしないといった印象ではなく、ふつうの履物として履いている感じ。オープンカレッジ「俳句を楽しむ」、春期の九回目。きょうの題は「蝸牛」と「冷房」。9人出席で詠草19句。あいかわらずの延長になる。帰宅して、きょうの題の二句。

 二匹ゐるときかたつむりよく動く/荻原裕幸
 内心が漏るクーラーの部屋に来て

第67期名人戦七番勝負第七局。羽生善治名人が郷田真隆九段に勝って名人のタイトルを防衛した。二連覇。通算で六期目となる。愛知県豊田市岩倉町ホテルフォレスタでの二日制の対局。ネット中継とそれからNHKのテレビ中継をところどころ眺める。本局も相矢倉の流れから逸れてゆく感じで、相居飛車の力将棋となる。中段に浮いた角の退路を自ら断つような文字通りの妙手が出て、早い段階で羽生の優勢が見える。そのまま郷田に流れが来ることはなかった。好不調で言えば、郷田九段に利のあるシリーズに見えたが、自分らしい無理のない将棋を指し続けたのが、羽生名人にこの結果をもたらしたように思われる。

きょうの一首。

 わたし以外の誰かであつた一日を終へて誰かの消える青梅雨/荻原裕幸

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June 23, 2009

2009年6月23日(火)

NHKのテレビ体操の番組で、いつの頃からか、三人の女性アシスタントの一人が椅子に坐って演技をするようになっていた。坐ったままでも体操ができるようにという配慮は、腰や脚や膝が悪い人とか、体力的に無理ができない人とか、デスクワークをしている途中の人とかに向けてのものなんだろうなと思っていたところ、最近では、三人のうちの二人が椅子に坐っているようだ。現在の日本の社会の意識がそこに反映されているということか。

 光る虫みることのなきこの街に曲がっても曲がっても道続きたり/江戸雪

第一歌集『百合オイル』(一九九七年)に収録された一首。「光る虫」とはたぶん螢のことなのだろう。詳細はわからないが、生まれ育った場所と現在いる場所との対比のなかに、もう戻れない場所に来たのだという、決意のような後悔のような微妙な感慨をにじませているようだ。暗くなっても光る虫はどこにもいない、と言うか、そもそも街は暗くならない。また、街には一本道を進んでゆく単純さやわかりやすさがない。直進することはできても、つねに左右に選択肢がひらかれていて、閉ざされているわけでもないのに、迷路のなかを移動している錯覚が生じる。四句目の字余りは、奥などどこにもないはずなのに、それでも奥が深いと感じさせる街路の感触を巧く見せていると思う。種田山頭火の「分け入つても分け入つても青い山」を反転させたような世界だ。

きょうの一首。

 半生のほぼすべての朝を瑞穂区にめざめてけふはあぢさゐの朝/荻原裕幸 

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June 22, 2009

2009年6月22日(月)

ダイドーの飲料の自動販売機には、お金を入れると、こんにちは、とか、買ったあとに、釣銭をお忘れなく、とか、午後からもがんばって下さい、とか、状況に応じたメッセージが流れるものがある。喋る自販機は巷に数々あって、事務的なことしか言わないため、うるさく感じるものも多いのだが、ダイドーの自販機は、開発した人のこだわりに同調できるからか、不思議に好印象が残る。こういう機械がもっと増えたら楽しいのに。

 やんだ雨にも気がつかず差し続けている君の傘が空をさえぎる/藤森あゆ美

第一歌集『美しい水たち〜クラゲよ〜』(二〇〇一年)に収録された一首。二人で一つの傘のなかにいるとき、雨がやんでも気づかないことにしようと思うのは、恋愛の心理の基本のはずだが、ここでは「君」の気がつかなさに対する不満が噴き出しているようだ。いつまでもさしている「君の傘」から来る、過保護な感じ、相手に深く干渉する感じ、相手を束縛する感じ、型通りの行為という感じなどが一体化して、どこか疎ましく思われるのだろう。しかし、このような内的な独白は、それを具体的な声にはしないことを意味してもいる。はっきり伝えて関係を壊したくはないのだ。雨のときには傘を、晴れたときには青天を二人で、と願いながら、そのような境地にはたどりつけないのであろうという、もはや傘が云々の問題ではなくなっている問題に対するあきらめに似た不満が、傘の内部でしずかにくすぶっている。

きょうの一首。

 梅雨のつづく午後をあなたの傘といふ密室にゐて青天を待つ/荻原裕幸

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June 21, 2009

2009年6月21日(日)

夏至。父の日。きのうからリビングと寝室のクーラーが稼働している。気温が下がると、と言うか、湿気が少なくなるとこんなにも快適なのかと一年ぶりに実感する。午後、栄の愛知芸術文化センターへ。未来短歌会の有志が企画した、野口あや子さんの第一歌集『くびすじの欠片』(短歌研究社)の読書会に参加。参加者は25人。白熱した会となった。

読書会は、堀合昇平さんと森井マスミさんの詳細なレポートからはじまる。大辻隆弘さんが司会進行をつとめて、著者をのぞく全員から意見を訊くスタイルだった。著者の人柄によるものなのか、かなり優しい意見が多かったように思う。読書会とか批評会よりは出版記念会によく似た空気が流れていた。ただ、作品を読解することについては、参加者のほとんどが丁寧に意見を述べていて、いろいろ教えられるところが多かった。堀合さんのレポートでは、宮台真司や大澤真幸が提示した現代の論理的枠組のなかに、野口あや子の作品を置いてみるとどうなるか、といった、結論を求めるよりも論理を楽しんでいるような意見が出されて、一部に反撥を招きながら、参加者たちの意見の良質な呼水ともなった。森井さんのレポートでは、一首の細部から見えて来る文体の特徴の数々が指摘された。細部を読むと、たとえば、作品に頻出する一人称の不安定性も、一人称が不安定だからそのように書かれているのではなく、一人称の不安定性を含んだ作品の是非を読者に問いかけるように書かれているのだとはっきり見えて来るようだ。

読書会でも発言したことだが、野口あや子歌集『くびすじの欠片』については、何を言ったらいいのかよくわからないところがある。一首一首のクオリティは高いし、適度にむちゃをしているし、適度に落ち着いてもいる。才能も努力も兼ね備えた優秀な新人だと感じさせてくれる。この優等生的な状況に、いずれは読者もそして作者自身も飽き足りなくなる日が来るのかも知れないが、いまはただ、この稀有な新人と出会えたことを読者として素直によろこびたいと思う。以下、同歌集から自分の好きな歌を少し引用しておく。

 振り回すコーラ缶から向日葵が咲いて溢れてとまらない夏/野口あや子
 校庭を染める夕焼け とてつもなく不埒な声で君を呼びたい
 水たまりほど薄いわがちちふさにてのひらてのひらてのひら揺れる
 伸びきった母の下着がベランダに吊られおりたまにつらいと告げる
 口内炎かわされながらしてるキス 嫌だったずっとずっと嫌だった

きょうの一首。

 食べてゐるのか見せてゐるのか桜桃のひかりを一つ口にはこんで/荻原裕幸

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June 20, 2009

2009年6月20日(土)

午後、近隣を旋回するようなヘリコプターの音がずっと続いていた。マラソンの大会の類があるとも聞いていないし、以前にもあったひったくり事件への対応だろうかと家人と話していたところ、南山大学に爆発物を仕掛けたと脅迫電話が入って大騒ぎになっているというニュース。実際の爆発は起きていないようだが、夜になってからも街路で多くのパトカーを見かけた。

短歌同人誌「Es**」第17号が届いた。同誌は毎号誌名が微妙に変化する。今号の誌名は「Es白い炎」。この誌名の変化は、柔軟な発想、と言うよりは、硬派的なこだわりの印象が強い。伝統的でも守旧的でもないのだが、単なる新しさを好むわけでもないようだ。かなり異色の誌名だと言えようか。むろん異色なのは誌名ばかりではない。昨今あまり見かけなくなりつつある実験的な傾向をどこかに含む作品、そしてつねに何らかの他ジャンルを意識しながら書かれる短歌評論などが、毎号ぎっしりと掲載される。今号で注目したのは、たとえば、山田消児さんの評論「『私』に関する三つの小感」。現代の川柳、現代の絵画、そして現代の短歌(短歌の具体的な対象は野口あや子さんの作品)という三つの視点から、古くて新しい「私」の問題に踏みこんでいる。短歌では若い世代の同人誌がブームなどと言われているわけだが、同誌の展開なども併せて視野に入れながら状況を考察する必要がありそうだ。

きょうの一首。

 ゆふかげの濃さ滲ませてこの坂はときどき深い表情をする/荻原裕幸

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