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August 08, 2004

ひぐらしひなつ歌集『きりんのうた。』批評会/メモ

歌集『きりんのうた。』は、端的に言ってしまえば、比較的クラシカルな文体と現在的な世界の切り口とがとけあった地点でできている。いわゆる私性というか自己像への回路を内在しているが、他者像とか世界といったものへの回路がほぼ遮断されていて、像がたちあがりにくい。この点について、江戸雪さんは、一般に短歌は現実をことばで再現するのにここではことばによって世界が築かれている、作者はことばの世界に生きている、と指摘した。さらに、約束が果たされるのを望めない、自分のそばにあるものを信じていない、未来を見ていない等、現実を断ち切る傾向のあることを指摘。断ち切りがことばの自在さを生んでいる反面、全体が均質な印象をもたらすという。藤原龍一郎さんは、この断ち切りに対して、いわゆる青春を謳歌できなかった傷みを見出し、過去に対する不全感ならびにとりかえしのつかない現在や期待できない未来を受容する態度として読んでいたようだ。藤原さん的なロジックからすると、他者像の不鮮明さはマイナスポイントかと思ったのだが、人間関係の喪失の表現として、むしろ肯定的なコンテクストで捉えていた。自前の想像力によってイメージを結ばせている点を高く評価したのも興味深い。東直子さんは、歌集の構成について、時間の流れのあるあらすじ的なものよりも時間の流れのない心情的なものに重点を置いたことや設定を意図的に消したことをごく自然に受けとめ、個人を消して自由になったところにピュアな心情がたちあがっていることを指摘した。動物等、私ではない存在を描いた修辞的表現を一つの通路として、その向こう側に、私のもうひとつのこころが見えるという。斉藤斎藤さんは、自己像への回路を内在させながら具体性のないことが、気になる、という。何かがあったとわかるのにその何かが示されない、私性と匿名性の中間を向いた匿名希望性ではないかと指摘した。また、章毎のテーマの提示について、作品の積み重ねによる提示が近代短歌以来の方法であるに、詞書によってあらかじめ解や着地点が示され、テーマに向かう内的な必然性を欠いているのではないかと指摘した。各パネラーの個々の作品への読解をのぞいた歌集への見解を強引にひと綴りにすると、大体このような感じだった。

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