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September 05, 2004

石川美南歌集『砂の降る教室』批評会/メモ

昨日の批評会のメモ。自身のパートでも話をしたのだが、非常に奇妙なプログラムであり、そこが何よりも印象的だった。歌集の批評会と言いながら、その他にも同世代の歌人を論じるディスカッションを組み、同世代の歌人の朗読のプログラムを組みこみ、あろうことかプロデューサーと著者が対談するパートまでもがあった。ぼくが企画者ならばこうは組まない。著者のテキストにとことん議論を集中して著者に何かを得させたいからだ。イベントとしては際だったしあがりになっていたものの、石川美南はもっと真正面から批評を浴びるべきでもあったとまずは言っておこう。むろんこの企画にはこの企画の意図があり、大きな収穫があったのを感じた。著者と同世代の歌人を論じるパートでは、水原紫苑が現在の青春の歌の構造を分析してみせた。世界に対峙する自分の不如意からはじまるはずの青春の歌が成り立たない現在に対処する方法論として、今橋愛や石川美南の作品を読んでいた。現在の現実はあまりにも重すぎる、そのため、石川が世界との接触面を攪乱したり、今橋が等身大要素で世界を覆うのだという。1980年代を通過した視点だと言えようか。対して、佐藤りえ、永井祐、西之原一貴の意見では、現在の短歌で一般化されつつある状況、かっこよさがだめ、何もないところで成り立つ、等をそれぞれの立場や感覚から説いてゆく部分があり、とても興味深く聞いた。司会の黒瀬珂瀾が、四人の意見を、定型に疑いをもたない、私が私であることに疑いをもたない、といった文学批判や主体批判という観点から丁寧につなげようとしていたが、実感の論議を含んだ現場で緻密にそれを進めるのはさすがにむずかしいものがあったようだ。後半の『砂の降る教室』をめぐるディスカッションでは、川野里子が文体の感触からその世界を探り、穂村弘が語彙とモチーフへの違和感からその世界を解剖した。このあたりの丁寧な読解をいくつも積み重ねてゆくのがベストの歌集批評会ではないか、と思われるような意見であった。なお、このパートで突出していたのは田中庸介の分析である。田中は『砂の降る教室』の世界に不用意にあらわれるポストモダン的要素(=既成価値の意図的な転倒による文学の成立要素)を徹底して批判した。これはかなりきちんと的を射た石川批判だと思う。たとえば、今橋愛とか増田静にはナチュラルになくて、斉藤斎藤が意図的に避けている要素として、この転倒への積極的な感触というものがある。ただ、留保をつけたいのは、田中がぼくの歌集を読んでくれたときにも感じたことなのだが、ニューウェーブを含めたニューウェーブ以後的な短歌は、従来の価値の序列にも転倒にも組みしないところで書こうとしてはいるのだ、という点である。石川にしてもそれは同じことのように見える。組みしない、そのフラット感を維持しようとする意識が緩んだときに、第三のこれはという要素がなければ、序列か転倒に組みしているように見えるということではないだろうか。転倒志向かフラット志向かというのは、それがそもそも微差なのかも知れないが、あえて言えば、ニューウェーブ以前以後をはかるための決定的な短歌史的要素ではあると思う。で、議論中、転倒にもそれなりのおもしろさがあるのでは、という位置で書いている岡井隆と田中との間で微妙な火花が散ったのは言うまでもない。ついでに書いておけば、短歌でこの転倒志向を徹底したのは小池光であり、転倒志向とフラット志向を半々に楽しんでいるのが岡井隆なのだ。その火花を浴びながら司会を進めた藤原龍一郎の表情は、混迷をきわめる現代短歌の表情そのものであった。ということでこのメモを結んでおこう。

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Comments

こんばんは。
この名前で荻原さんの掲示板に書き込むのは初めてかもしれません。
某所ではどうも失礼しました。
それにしても、石川美南さんの批評会の様子、
知りたかったので、詳しく書いてあってうれしかったです。
今度はいいことで声をかけてもらえるようにがんばります。
では。

Posted by: 清水幸多(舟橋剛二) | September 05, 2004 at 08:52 PM

田中です

昨日の批評会、どうもお世話になりありがとうございました。
また、身に余るおほめのことばも心から感激しております。

私の意見に対する「留保」としてのコメントも恐縮していますが、
念のため整理させていただきます。

まず、石川歌集におけるポストモダン的要素についての批判とありますが、
テキストに即して徹底的に指摘はしましたし、その割合(「メタ度」)が
高すぎて食傷ぎみだという批判もしましたが、価値の転倒そのものが
いけないと言っているわけではないのです。たとえば、岡井さん御自身の

 歌はただ此の世の外の五位の声端的にいま結語を言へば

という「五位の声」の歌ですが、これは「鮮やかな価値の転倒である」と
肯定的に評価したつもりです。それは、価値を転倒することによって、
作品のトポスがある種の「高さ」を持ってうつりかわるという詩的効果の
大きさを、私も当然、現代詩の徒として認めているからにほかなりません。

たとえばこの歌では、上の句の、西行芭蕉をふまえた、ジャンルそのものに
対して言及している抽象的な地点から、「端的にいま」なる句によって、
「書いている私」の地点をあざやかに現出させることで、メタレベルを
一段階引きずり降ろし、それまでの作品空間に着地させるような一回ひねりの
身のこなしがあざやかに現出させ、この連作の空間を、西行芭蕉の天空へとふっと
解放するような、一連の結びとしてふさわしい歌となっています。
このような、メタレベルの異なる平面から平面への移動の流れを通して、
読者の精神がより大きな空間を獲得できるような行為こそ、詩的なものの
大きな力だというのが私の考えです。

今回批判したかったのは、そのようなメタ方向の移動行為そのものではなくて、
負の価値を「詩的なもの」にわざわざ付与することは、上品な詩的行為とは言えない
という点です。「飲み会をふたつ断わり」は下品です。「くさりたるくちなしを
食べたがる弟」は上品。「うつかり生えてくる矢野顕子」も上品。
上品なものだけではパンチが利かなるかもしれないという恐れによって、
下品なものを適切な割合で混ぜていくということがおおかたの戦略になる
のでしょうけれど、そのバランスが作者個人に最終的に問われる倫理感
になるんじゃないでしょうか。

もし話題に上がった「魔術」が、このメタ方向の移動行為を意味するとすれば、
詩にメタ方向の移動が必要であるという点で岡井さんと私は完璧に一致しており、
また石川さんがその力がある歌人だという認識においても完璧に一致していたと
思います。評価が分かれたのは、評者自身の経験からどれをどれだけ面白いと
思えるかという点で、たぶん私自身は、実は石川さんと同じように、「詩的」を
下品な「日常」のほうに引きずり降ろすという、六十年代詩の方法をそのまま
継承するところが出発点になっており、そんなように「詩を滅ぼす」ような、
詩についての自己言及としても読めるような詩を過去にさんざん書いてはじめに
詩壇に評価されて登場してきた人間ですから、その「黒魔術」のインパクト至上主義の
戦略的強さと「文学の毒」について十分認識しているつもりです。だからこそ、
フラットな地点からどうせ魔術を使うのであれば、詩人自身のもつ魔力を
黒い穴を掘るのではなく、白い丘を築くほうに使うほうが、すなわち、
そこに見える既存のものをひきずりおろすんじゃなくて、何もないところから
何かを作り上げるほうが、はるかに大きなエネルギーと、はるかに大きな才能と、
はるかに大きな忍耐を必要としますが、しかしはるかに「楽しい」し、
はるかに大きな読者へのインパクトを与えることができるのではないか、
という考えに到達したわけです。それはたしかに難しいことですね。
でも地道にがんばります。

この点、とても難しいので伝わりにくかったかという反省があるので、
補足するとともに、今後ともくりかえし書いていきたいと思います。
ああ、荻原さんが今日のところで書いてくださった「総鬱化状態」への危惧、
そうですね。伝わりにくかった点を指摘してくださったとともに、
分かってくださったことに感謝します。

それでは今後ともどうぞよろしくお願いします!

Posted by: 田中庸介 | September 05, 2004 at 11:51 PM

>清水幸多さん/舟橋剛二さん

コメントどうもありがとうございました。
石川美南さんの批評会のメモ、
お読みいただき感謝します。
骨組みだけを主観的に書いた、
一面的なものですので、
詳しくは多くの人の感想をご参考に。

>田中庸介さん

切れの良い補完コメント、感謝します。
価値の転倒そのものがいけないのではない、という点、
これはもちろんおっしゃる通りだとぼくも思っています。
問題は、不用意にあらわれる「既成」と「転倒」の配合が、
フラット志向を超えて、負のおもしろがりに見える、点であり、
田中さんの批判もそこに向けられている、と感じていました。
メモの中でぼくが、転倒志向、と書いているのは、
この、負のおもしろがり、のことです。
石川美南さんの良さおもしろさは、いま、
この、負のおもしろがり、をかすめつつも
第三の何かとしてたちあがるだろう、と
そんな期待をもっているのでした。
またいろいろ教えて下さいね。

Posted by: 荻原裕幸 | September 06, 2004 at 07:03 PM

ありがとうございます。
ぼくも期待しています。

では、これからもどうぞよろしく。

Posted by: 田中庸介 | September 07, 2004 at 01:43 AM

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