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December 07, 2004

2004年12月7日(火)

午後、ねじまき句会の例会。10回目。メンバーがさらに一人増えて総勢12人となった。人は、集めようと思ってもなかなか集まるものではないし、何なのかはわからない何かがうまく動いてくれているらしい。句会終了後、なかはられいこさんと宮川尚子さんと三人で食事。その後、風媒社へ。夜、帰宅。イソカツミさんの歌集『カツミズリズム』の出版記念会の感想の続き。朗読のパートは、イソさんの作品を最低一首以上組みこんで、他の構成は自由に、という条件でおこなわれた。なかはられいこさんは、自身の散文をイソさんの作品に詞書風に連結していた。散文における感情の発散と短歌における抑制感とが対比される。短歌を読む部分でだけ静かに定型がたちあがり、そこがイソさんの作品なのだなとわかるしくみがおもしろかった。塩谷風月さんは、イソさんの作品の間に自作とイソさんのことば遊び的な文体を意識した早口ことばを挿入して読む。早口ことばの部分では何かを気にして照れていた。アドリブならともかく、準備してあった台本に対して照れるのはちょっとマイナスかも知れない。構成がすごくよかったのでそこだけが惜しいなと思う。田中槐さんは、イソさんの連作と自身の連作をまったく別々に読む。自身の朗読力に対する自負による構成か。その自負を十分に裏づけるような快い朗読だった。ただ、二つの連作の接合の意味が不明瞭でどこか混沌としたきもちも生じた。正岡豊さんは、現代詩とイソさんの作品を連接させて読む。構成はおもしろかったものの、イソさんの作品に対して著者はこんな感じで書いたのだろうといった風な解釈が過剰に挿入されていて、言い換えると過剰なほど眼前の著者を意識していたようで、どこか発声に迷いがあるように感じられた。ぼくの作品をぼくの前で読むときにはそうはならないのになあとか思いながら聴いていた。イソさん自身は、短歌の定型に対する意識がほとんど見えず、ひたすらテキストを朗読するというスタイルを貫いていた。快いもののある朗読だったが、読まれているテキストがそれと意識しているぼくにも短歌だと感じられないというのはどうだろうなあという気もした。これはたぶんイソさんの文体にも直結していることで、再考要素ではないかと思う。穂村弘さんは、この人独特の淡々とした声調でイソさんの作品を読み、自作とイソさんの作品を合体させた一首を最後に読みあげた。穂村さんの朗読を巧いと形容するのは何かが違うような気がする。これはなんだろうといつも思う。彼の声が持っている知的なためらいのような感触の快さは、巧拙を超えたものかも知れない。

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