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February 19, 2005

大橋麻衣子第一歌集『シャウト』批評会/メモ

大橋麻衣子さんの批評会のメモ。60数名が出席。「短歌人」のメンバーが40人近くを占めていた。発起人の藤原龍一郎さんの挨拶からはじまる。こういう内容の歌集はこれまでにはないのではないか、パンドラの匣ではないか、等、熱いことばが述べられた。ディスカッションでは、司会の吉岡生夫さんがまず感想を語る。読者としておもしろい、ある種の爽快感がある、その一方で、同じ歌人として、短歌は武器(著者のことば)にもなるだろうが、武器に著者が走らされるということもある、反作用を受けとめる覚悟があるのか? 造酒廣秋さんは、しんどいなあ、どこかで息抜きをさせてくれないか、という印象を枕に、引用の助詞「と」の多用について指摘。鍵括弧や会話体の多用とあわせ、他人からこう言われた、わたしはこう思う、的な単純な繰り返しの構成を批判。技法として幼稚な面があるのではないか、技術的な問題が残るのではないか、と疑念を。中津昌子さんは、米川千嘉子の今井邦子論を枕に、妻であり母であり女性であることの束縛感が前面に出た無惨な感じや分断感を分析。吉岡さんや荻原(「短歌人」2月号書評)が感じるような爽快感がほんとにあるのか。描かれた夫や他者としての女性がパターン化して、他者への関心も畏怖も感じられず、自己にばかり視線が向いていないか。その苦しさには共感するのだけど、何かが狭いところにとどまるような感じがある、表現としてその何かを伝えるためのことばが欠如しているのではないか。パターン化せずに不可解なものをそのまま提示するような文体に可能性を感じた。等々。批評会のレベルを遥かに超えた大橋麻衣子論が聞けたなと思った。大塚寅彦さんは、型通りの考えへの反撥、個という意識が突出した表現に爽快感はあると言う。社会へ向けても自己の内部に向けても生な批評性が出ている。稀有なほどに突出している。ただし、全体に修辞などの表現の弱さがあるという印象は否めない。江戸雪さんは、歌集全体がさらっと読めた。文体のトーンが単調でモチーフにも広がりがないのが要因だとも思うが、強い印象が残る理由がよくわからない、と評価に迷っている様子。妻たちや母たちが大掴みで一般化されすぎている、もう少し掘り下げてほしい、と註文。なんだかわからない無意識の領域で、定型にことばをはめてみたらおもしろくなりました、的な歌に注目した。自己ではないものへの視線をもった歌をもっと入れたら構成がおもしろくなったのではないか、と指摘。会場発言では、主に女性の歌人から、表現以上に作中主体の置かれた立場へのコメントが多かったと感じられた。表現する主体の存在感に比べ、表現が追いついてない、と受けとめられたようだった。会場発言のときに少し語ったことだが、短歌は、日常を超えた世界へとことばを飛躍させてゆくか、日常の微細な部分にまで視線を向けてそこに世界の象徴を見出すか、になりがちだが、大橋さんの作品は、日常を日常のままに語る。ことばがほとんど隠喩化せず、書かれた/読んだ作品のことばが、読者のなかにそのまま堆積する感触がある。この堆積感が、冒頭の挨拶で藤原さんが言った、これまでにない何か、につながるものなのではないか、と、ぼくは考えている。

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