« February 2005 | Main | April 2005 »

March 31, 2005

2005年3月31日(木)

きょう、名古屋でも桜が開花した。と言っても、観測用のサンプルの樹に、一定量の花がついたという話らしいので、巷の桜たちがどうなのかはよくわからないのだが……。午後、所用で外出。とある喫煙所でたばこを喫っていると、同じベンチにいた学生らしき二人が、再来年度の就職活動の話をしていた。映像系のクリエイターとして、広告代理店かプロダクションに入りたいのだという。声も表情もきらきらしている。聞いていて楽しかった。挫折するなよ、と、心中でひそかに応援しながらベンチを立った。夜、このところずっと追われていた家人の仕事にひとくぎり。深夜まで延々と、遅れている原稿の続き。やっと納得できて脱稿した。編集部にメールで入稿する。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 30, 2005

2005年3月30日(水)

午後、原稿の続き。Sさんの歌集草稿の再読をはじめる。夕刻、別のSさんから要確認原稿が届いたのでチェック。島津忠夫さんの『女歌の論』を再読。一九七〇年代から八〇年代にかけての女歌の問題というのは、八〇年代当時、いわゆる高度消費社会の向こう側のできごとだと思っていたけれど、現在の視点であらためて考えてみると、あきらかに今に直結しているこちら側のできごとだと感じられる。女歌の流れが、八五年の「三十一文字集会」で、いきなり途切れたようになっている理由は、シンポジウム等、女歌の現場の問題としてではなく、もっと大きな視点で問われるべきなのかも知れない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 29, 2005

2005年3月29日(火)

深夜に仕事をして朝になって眠る。起きて、午後また仕事。一日と一日の境目が曖昧で、きのうがきょうに溶けこみ、きょうがあすに溶けこむ。きょうが何日で何曜なのか、カレンダーで確認しないとわからなくなりそう……。夕刻、Aさんと電話。七月に予定している歌集批評会のことなどを打ちあわせる。夜、Nさんから電話。歌集をめぐっての相談。さらに別のNさんから電話。桜が咲いたらみんなで花見をしようという話など。深夜、題詠マラソンの作品をまとめる。書きかけだったメモを推敲して、焦、主義、の2首を投稿。あと86首。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 28, 2005

2005年3月28日(月)

日曜、午前、上京。品川で新幹線を降りて、池袋・東京芸術劇場へ。斉藤斎藤さんの第一歌集『渡辺のわたし』の批評会。参加者は約140人。佐藤りえさんをはじめとした「短歌人」の有志の運営で、にぎやかな場が準備された。岡井隆さん小池光さん穂村弘さんによる鼎談は、100人を超えるイベントだということをまったく意識していないような「玄人向け」の内容で、目が笑ってないどころか、ほんとに笑い一つ見せなかった穂村さんが、自身の意識する現代短歌の焦点に岡井さん小池さんを誘いこむハンドリングに感心した。一方、岡井さん小池さんは、終始笑顔を絶やさないおだやかな話ぶりだったが、斉藤さん自身も斉藤さんの支持者も気づかないような盲点的な示唆をいくつも出していたと思う。良質の鼎談になるのは予想されたことだが、少なくともぼくの予想をさらに上回る良質さだった。懇親会も約80人で異常なほどのにぎわいを見せていた。最終の新幹線で帰名。きょうは、終日、メールの対応と原稿。東京から日帰りした疲れが残っているせいか、いつも通りと言うべきか、もろもろがなかなか思ったように進んでくれない。ねじをまきなおさなければ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

「現代詩手帖」4月号に執筆

「現代詩手帖」4月号が届いた。短歌時評「うたの凹凸」の二回目。「女歌の時代が残したもの」と題して、400字×3枚を執筆。青幻舎から刊行された『永井陽子全歌集』を題材に、永井陽子的な女歌の文体と現代の自己像をめぐる不全感の強い文体との酷似について言及した。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 27, 2005

斉藤斎藤第一歌集『渡辺のわたし』批評会

斉藤斎藤さんの第一歌集『渡辺のわたし』批評会に出かけます。
人を食ったおもしろさや意外なまともさが話題になりますが、
歌集全体を読むと一体どういうことになるのか楽しみです。

【日時】2005年3月27日(日)13:30〜17:00(開場13:00)
【会場】東京芸術劇場・大会議室(池袋駅西口から徒歩5分)
    東京都豊島区西池袋1-8-1 電話03-5391-2111
【出演】鼎談=岡井隆×小池光×穂村弘

【出版記念パーティ】17:30〜
 パーティ&レストラン パサル
 西池袋3-25-13リバーストンビルB1 電話03-3971-6660

【参加費】批評会=1,500円、パーティ=4,500円
【参加申込・問い合わせ】
 花笠海月(info_clerk@yahoo.co.jp)宛にお願いします。
 氏名、所属、批評会・パーティの各出欠を明記の上、3月15日(火)までに。
※メールの件名は「渡辺のわたし批評会」として下さい。

【発起人】蒔田さくら子、奥村晃作、中地俊夫、石井辰彦、荻原裕幸
【運営】短歌人若手有志の会
※詳しくは、著者サイト「私にはその価値があるから」をご覧下さい。
※歌集『渡辺のわたし』については、歌葉の紹介ページをご覧下さい。
※ogihara.com内での同歌集の紹介は、→こちらをご覧下さい。

●当イベントの受付はすでに終了しております。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 26, 2005

2005年3月26日(土)

四月が近づいているというのにまだ少し寒い。午後、所用で外出。春らしさがあるようなないような、微妙な風景をぼんやりと眺めながら歩く。桜の開花も近いはずなのだが、どこまで近づいているのかよくわからない。用件を済ませたところで、買い物をしていた義母、義姉、家人と合流して喫茶店へ。四人で世間話的な話をしながらしばらく和む。夕刻から深夜にかけて仕事。明日は上京の予定なので何とかきりをつけておきたいのだが……。体重、元の状態でほぼ一定。本日の計測では60.8キロ。体脂肪率18.5%。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 25, 2005

2005年3月25日(金)

電話が鳴る。電話をかける。電話が鳴る。話している最中に携帯電話も鳴る。電話をかける。ファックスが来る。電話をかける。電話が鳴る。という感じで時間が過ぎていった。メールのやりとりが嵐のようになるのは珍しくないが、ひさしぶりにとても電話な一日だった。柴田瞳さんの第一歌集『月は燃え出しそうなオレンジ』について、一昨日、漠然とした感想を書いただけで、具体的な作品のことを書いていなかった。以下に引用するような、俵万智さんの、とりわけ硬質な部分からの影響を感じられる作品に、柴田さんの原型、あるいは、その人らしさみたいなものが見えるように思う。巧さの部分と個性とがきちんとリンクしていると言ったらいいだろうか。歌集後半に多くあらわれる、会話体を活かした作品もそれなりにおもしろかったけれど、やや性急に定型にことばを入れこんだ感触があった。自己の文体という観点を重んじるならば、以下の原型的文体をベースに会話体を活かしてゆく道筋もあるのではないかと感じたのだった。

 進路志望調査の紙を渡されて何とはなしに見る梅の花/柴田瞳
 迷いつつ行けば室蘭ナンバーの車に追い越される夏の旅
 美人なら何をやっても許される嘔吐しそうな不条理をみた
 忘我してしまいたい空 南天の紅きがそれを許しはしない
 必要がないから退化したはずの翼が疼くような三月

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 24, 2005

2005年3月24日(木)

深夜に仕事をする生活が続いている。午前、強引に目覚め、午後からの打ちあわせのだんどりをまとめる。午後、栄へ。Sさんの歌集批評会の打ちあわせ。取材みたいな感じで希望を聞きながら、具体的なかたちへとまとめてゆく。打ちあわせの後、すぐに会場もおさえる。夕刻、上前津へ。風媒社で打ちあわせ。夜、帰宅すると待ち構えていたようにファックスが入る。「Judy」の表紙のデザインラフだった。Oさんと電話で打ちあわせ。批評会の仕事をお願いする数人に電話を入れる。深夜、題詠マラソンの感想サイトをいくつか読む。ひぐらしひなつさんの「ゴルゴ31」、村本希理子さんの「とうざいなんぼく」、やそおとめさんの「朱華掲示板」等。作品を選んで感想を書いてもらえるのは、雑誌への投稿が入選したみたいでうれしい。感謝。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 23, 2005

2005年3月23日(水)

いろいろなものに追われて、余裕のない一日だった。先日の「かばん」の二歌集の批評会、あれこれと考えて、メモを書きはじめてみたのだが、感想がどうもうまくまとまらない。歌集評価と分析のバランスで言って、批評会の場が、後者に大きく傾いていたからだろう。個々の発言の細部に価値があるディスカッションだったということだと思う。伴風花さんの歌集のパートはそれほどでもなかったような気がしたが、ぼくが司会を担当した柴田瞳さんの歌集のパートは、ぼく自身がいささか戸惑うほど極端に分析に偏っていた。むろんそれは作者にとってマイナスになるようなものではないし、普段とは考えをシフトして楽しんだのだけれど、ともかく、強引にまとめるのは控えておきたい。記録は「かばん」6月号に掲載されるらしい。夜、題詠マラソンの作品を書く。と言うか、月曜の新幹線の車中でまとめた、都、メガホン、の2首を推敲して投稿する。あと88首。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 22, 2005

2005年3月22日(火)

昨深夜、仕事をはじめてしまって眠れなくなる。数時間の睡眠。朝食を済ませてからリビングでふたたび眠る。午後になっても疲れがすっきりとれない。読みさしのままだった大崎善生『将棋の子』を読む。勝/負以外の価値観の生じようがない世界に、時空の共有という第三の視点を巧く成立させていると思う。つい一九八〇年代の歌壇の印象を重ねながら読んでしまった。若原光彦さんが、オープンマイク「詩のあるからだ」のサイトを移転。サーバの容量を増やして、録音がコンテンツに加えられた。メディア化、と言うには、朗読も朗読されるテキストもかなり無防備であるのだが、放っておけば流れてしまう場を、記録として残すのはとてもいいことだと感じた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 21, 2005

2005年3月21日(祝)

日曜、仮眠しただけで早朝に起きる。NHKスペシャル「ケータイ短歌 空を飛ぶコトバたち…」の録画を見る。歌人を対象にした番組ではないので、その角度からの感想は控えるが、一つの番組を支えるだけのコンテクストがきちんと示されていない、と感じざるを得なかった。午前、新幹線で上京、吉祥寺へ。「かばん」の二歌集合同の批評会。参加者は60人ほどだったらしい。感想は別にまとめる。一泊して今日、午後から四ッ谷へ。「かばん」の企画の対談。淡路町の近隣に宿泊したので、地下鉄丸ノ内線に乗って移動、十年前の事件を思い出していた。早めに着いたので駅の周辺を散策する。相手は穂村弘さん、司会は飯田有子さん。スタッフとギャラリーをあわせて10名ほど。テーマは、現代短歌の文体をめぐるあれこれ。6月号に掲載予定。終了後、有志で食事。夜、帰名。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 20, 2005

伴風花&柴田瞳 第一歌集を語る会

伴風花さんの第一歌集『イチゴフェア』と
柴田瞳さんの第一歌集『月は燃え出しそうなオレンジ』の
合同の批評会「燃え出しそうなイチゴ批評会」に出演します。

【日時】2005年3月20日(日)13:00〜17:30(受付開始12:40)
【会場】武蔵野公会堂・会議室
    武蔵野市吉祥寺南町1-6-22 電話0422-46-5121
    ※中央線・井の頭線吉祥寺駅南口から井の頭公園方向へ徒歩3分
【プログラム】
◎柴田瞳歌集批評会
 パネラー=永井祐、伴風花、東直子、荻原裕幸(司会)
◎伴風花歌集批評会
 パネラー=斉藤斎藤、柴田瞳、松村由利子、穂村弘(司会)
※批評会終了後、近隣の会場で懇親会が予定されています。

【参加費】批評会=1,000円、懇親会=4,000円
【参加申込・問い合わせ】
 千葉聡(kyutaro@tky.3web.ne.jp)宛にお願いします。
 氏名、連絡先、批評会・懇親会の各出欠を明記の上、3月10日(木)までに。
【主催】かばんの会

※伴風花歌集入手方法 → 著者サイト風媒社の紹介ページを参照。
※柴田瞳歌集入手方法 → 著者サイトながらみ書房の紹介ページを参照。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 19, 2005

2005年3月19日(土)

午前、水尾佳樹さんから12日のイベントのビデオが届く。Nさんから電話が入る。午後、Aさんから電話が入る。新たな歌集批評会の件で。6月頃にという話なので、スケジュールを考える。明日の批評会のため、柴田瞳さんの歌集『月は燃え出しそうなオレンジ』と伴風花さんの歌集『イチゴフェア』を再読。明後日に予定している対談のため、考えを整理する。夜、NHKスペシャルの「ケータイ短歌」を録画。エンドロールで名前を見たとHさんから電話が入る。題詠マラソンの作品を書く。眠、線路、の2首を投稿。あと90首。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 18, 2005

2005年3月18日(金)

昨深夜、読売新聞のサイトを見ていたら、「早稲田文学」がフリーペーパー化するというニュースが出ていて驚いた。書店販売は来月発売の号までで、夏頃にフリーペーパーとしての第一号を出すという。ネームがあっても文芸誌は売れないということなのか……。風邪でも仕事をしていた余波か、きょうは疲れが一気に押し寄せたようで、仕事が思ったように進まなかった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

松木秀『5メートルほどの果てしなさ』リリース

松木秀さんの第一歌集『5メートルほどの果てしなさ』が【歌葉】からリリースされた。312首を収録。無名的/無私的であるがゆえにそこから力づよく生じる諧謔の文体が快い。そして、ではそのように語る一人称とは何者なのかという困難な問いへのアプローチも果たそうとしている。乞御一読。ちなみに、解題は荻原裕幸が執筆した(「果てしなき自己言及に」400字×7枚)。

 秋津島ヤマトの糊は学校の工作となりて千代に八千代に/松木秀
 アメリカのようだな水戸のご老公内政干渉しては立ち去る
 かなしきはスタートレック 三百年のちにもハゲは解決されず
 輪廻など信じたくなし限りなく生まれ変わってたかが俺かよ
 「生涯独身」と「一生独身」の言わずもがなで後者のわれか

同歌集は以下のURLから入手できる。
http://www.bookpark.ne.jp/cm/utnh/detail.asp?select_id=50

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 17, 2005

2005年3月17日(木)

午後、名古屋駅へ。小学館のOさんと打ちあわせ。女性マンガ誌「Judy」の表紙に、6月号(4月下旬発売)から、現代の短歌を一首選んで掲載するという企画をはじめるので、初回分について詰める。きょうの打ちあわせで骨子がほぼ確定した。商業誌の看板でありながらも広告ではないわけで、短歌史的な価値とかポピュラリティとか、そういう一つの軸だけでは選べないため、しばらくは悩める日々が続くかと思う。夕刻、JR高島屋で弁当を買って帰宅。夜、いくつかのサイトを見ると、題詠マラソンの作品の感想や鑑賞をさっそく書いてくれている人たちがいた。大いに励まされる。ココログのカウンタを確認すると、昨年の7月7日以来のアクセスが7万を超えていた。ご愛読、感謝。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 16, 2005

2005年3月16日(水)

きょうは暖かかった。体調はまずまず。もろもろの歌集を読み漁る。求めているイメージにあう作品を探して、まさに漁るという感じで読む。俳句誌「里」3月号が届く。特集は「柳人は俳句をどう見、どう読んでいるのだろうか」。樋口由紀子さんが俳句を書くのに四苦八苦した体験をまとめた「詠めばわかる」等、実感的でおもしろい川柳作家の俳句観がそこにあった。夜、題詠マラソンの作品を書く。サラダ、時、発見、鞄、の4首を投稿。あと92首。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

「短歌往来」4月号に執筆

ながらみ書房から「短歌往来」4月号が届く。岡井隆歌集『馴鹿時代今か来向かふ』の書評「時の流れと方法意識」を執筆した。400字×3枚半。文中で触れる余裕がなかったが、このところの石井辰彦さんとの編集や朗読企画を通じての岡井隆さんの方法意識の突出が、この私的な時の流れをフレームとするタイプの歌集にも、弾み、のような感触を与えているのではないかと推察される。ここに付記しておく。また同号の、菊池裕さんの「マルチメディアと短歌のゆくえ」では『短歌、WWWを走る。』の解題文に、鈴木竹志さんの「歌誌漂流」では「井泉」創刊号の「秀歌と愛誦歌とリアリティ」に、それぞれ教導的に言及してもらえた。考えを進めてゆく参考にしたいと思う。感謝。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 15, 2005

2005年3月15日(火)

きょうは少し暖かいか。体調はとりあえず落ち着いたようだが、まだ何となく不安な感じも残っている。朝日新聞朝刊の文化面に、丸谷才一さんが、新古今和歌集についてエッセイを書いていた。完成から一応800年ということで。後鳥羽院に微妙な肩入れをしながらの快い文章だった。知識の行き届いた人の過剰にならない断言的文体はきれいだと思う。歌人では、超大家は別として、石井辰彦さんがそうかな。午後、某大手銀行の名前で奇妙なメールが届く。公式サイトで確認してみると、電子メール詐欺だという。注意を促すコメントが出ていた。「現代詩手帖」から「うたの凹凸」の第二回のゲラが届く。校正。校了。予定していた五七五の会は、大事をとってお休みさせてもらうことにした。夜、題詠マラソンを走りはじめる。声、色、つぼみ、淡、の4首を投稿。あと96首。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 14, 2005

2005年3月14日(月)

昨夜は仕事先に提出する事務的な書類をまとめる。早朝になって眠る。午後、Oさんから電話。電話で少し打ちあわせ。夕刻から夜にかけて、昨夜とは別の事務的な書類をまとめる。体調が思わしくなく、微熱が出ていた。書類作成が嫌いなせいかも、などと笑っている場合でもなさそうだったので、風邪薬を飲む。一段落したところで、ごろごろしながら歌集をまとめて読み進める。1980年代から90年代にかけてのアンソロジー等で、時代の流れを眺めなおしてみると、従来の印象と微妙に違った風景が見えて来そうな感じ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 13, 2005

ねじまき句会・第13回記録

ねじまき句会、第13回の記録を公開した。今回の題は「森」。それと雑詠。新しいメンバーとして米山貴美子さんが参加。それぞれが無記名詠草から四句を選んだ。過去の記録もリンクを順にたどってすべて読めるようになっている。
http://www.sweetswan.com/nejimaki/new.html

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005年3月13日(日)

きのうは夕刻から鶴舞へ。イベントをリハーサルの途中から見学、終了したのは深夜0時に近かった。感想はたぶん別所にまとめることになると思う。会場を出ると、真冬のような寒さ、歯がかたかた鳴る。きょうもずいぶんと冷えこんだようだ。午後、書きあげた原稿をメールで入稿。Yさんからのテキスト使用の問いあわせに返信。とてもうれしいオファーだった。夕刻、外へ出ると雪がちらちらと降りはじめる。春の雪か。短歌誌「レ・パピエ・シアン」4月号、特集「口語と定型」を読む。大辻隆弘さんの「『ざっくりとした定型意識』について」、大半はおもしろく読んだのだが、一点、ざっくりとした定型意識の感じられる歌人たちに方法意識がないとするだけの論理的根拠は、大辻さんの文章には含まれていないのではないかと思った。論旨からすると、この根拠が文章の核にならなければおかしいような気がするのだが……。小林久美子さんの「現代の表層を歌い続ける」もおもしろく読んだ。作品分析がとても丁寧でそれだけでも充分に現代短歌の見取図になっている。表層というキーワードの含む意味がさらに明確になれば、歴史と同時代とを同時に掴みきれるのではないだろうか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 12, 2005

2005年3月12日(土)

一転して寒い日となる。午後、きょうもNHKのSさんから電話があった。番組のフィニッシュの時期なのか。資料提供者として番組のエンドロールにぼくの名前をクレジットしてくれるという。仕事としてかかわった記録が残るのはありがたいことである。昨日、Oさんから、某誌の表紙写真のデータが届いた。併載する短歌の候補を探す作業をはじめている。コンセプトがあらかじめ決まっているため、なかなかむずかしい。探すよりも自分で書いた方が早いかもなあと思いながら、周囲の歌集をひっくり返してはメモをとる。遅れている原稿をまとめ、推敲にかかる。夕刻から出かけるので、脱稿は深夜か明日になりそうだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 11, 2005

2005年3月11日(金)

連日暖かい。正午過ぎ、NHKのSさんから電話。3月19日の土曜、NHKスペシャルで、ケータイ短歌の番組が放送されるという。ぼくは情報提供しただけだが、マスメディアのディレクターさんたちが、何にどう反応するか、俗っぽく言えば、どんなネタにどう喰いつくか、いろいろ学ぶことが多かった。中津昌子さんの第三歌集『夏は終はつた』(青幻舎)が届く。巻頭の章の「びつしりと自転車ならぶ金属のひかりのなかを秋の蝶ゆく」「何も落とさぬ飛行機の腹過ぎゆきて萩のこまかき花騒ぎたり」「右の眼はこまかく菊の咲く痛みひだりしづかな風吹くばかり」等を読んだところで引きこまれて、前歌集の『遊園』と読み比べながら読み進める。先月、しづかに1キロ半ほど太り、今月、しづかに1キロ半ほど痩せた。本日の計測、体重61.2キロ。体脂肪率17.5%。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

March 10, 2005

2005年3月10日(木)

暖かい一日。午後、書店へ行くついでに外で遅い朝食。杁中の交差点に面した喫茶店で。こちらは朝食だが、店はランチタイムが終了するところだった。オムレツ風な卵焼きのサンドイッチがライ麦パンとクロワッサンとで二種類。それにミニサラダとミニデザートと珈琲。税込780円。中学生の頃、学生街っぽいこの界隈がすごく好きだったのを思い出す。あたりの風景に、もはやその頃の面影はない。馬場駿吉さんのエッセイ集『時の晶相』(水声社)が届く。一九六〇年代から七〇年代にかけての馬場さんの交遊録。美術から文学にわたるきらびやかな名前がならぶ。体験したことのない時間と空間が、懐かしいもののように迫って来るのが快い。編集のOさんから電話。仕事の進行方法を打ちあわせる。夜、若原光彦さんに焼いてもらった「詩のあるからだ」のCDを聴く。自分の声も確かめてみた。噛むこともなく、特におかしなところはないのだが、ただそれだけの声にしか聞こえない。何が欠けているのか、しばらく考える。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 09, 2005

2005年3月9日(水)

午後、柴田瞳さんの歌集『月は燃え出しそうなオレンジ』(ながらみ書房)を再読する。20日の批評会に向けて考えをまとめはじめる。某結社誌から誌面批評の原稿依頼。夜、八事へ。ポップコーンのオープンマイク「詩のあるからだ」に参加する。朗読用のオリジナルのテキストを読む予定だったが、推敲が完了しなかった。旧作の「『天使』のエスキース」30首を読む。主催の若原光彦さんの演出、と言うか、空気の作り方は、フラット感がよく出ていると思う。自由とか平等とかじゃなくてフラットなのだ。終了後、詩の場をめぐっての雑談。短歌朗読がいまのところイベントであるのに対して、詩の朗読は、ほぼメディア化している印象を強める。ジャスコで買い物をして、深夜、帰宅。そうそう、12日の土曜、ポエトリーリーディングの友人たちが、朗読イベントを開催する。取材をかねて出かける予定。こちら→「鳥 Bird in K・D Japon」をご覧下さい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 08, 2005

2005年3月8日(火)

きのうは、午前7時台の新幹線で上京。町田市の斎場で、3日に急逝した家人の叔母を弔う。おだやかな青空、斎場のまわりには、雪が少し残っていて、椿が小さな花をたくさん咲かせていた。口をひらくとつらくなるので、ぼんやりとあたりを眺める時間が多くなる。家人の叔母とは、結婚前から懇意にしていて、家族という感じに近い人だった。どうにもきもちの整理がつかない……。夕刻、神保町に出て、仕事の打ちあわせ。打ちあわせ先の編集部に、知人たちが大勢居あわせて、とてもおだやかな気分になる。打ちあわせを終えてさらにもう一件。ぎりぎりの時間まで話して、最終の新幹線で帰名。長い一日となった。きょうは、午後からねじまき句会。出席者は10名。新しいメンバーが一人加わって、在籍者は14名となる。今回から題詠一句と雑詠一句、計二句の出詠とした。じっくりと詠草を読む時間がとれた。句会終了後、有志で食事。夜、帰宅。Mさんから原稿の件でメール。概要をまとめて返信。きのうの打ちあわせの内容を微調整して担当のOさん宛にメール。さらにIさんから雑誌の企画の件でメール、諸事情でなかなか着地点が決まらないらしい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 06, 2005

2005年3月6日(日)

私事と仕事で慌ただしい日が続いている。結社誌「かりん」3月号、小高賢さんの評論「短歌の力はどこにあるのか」を読む。この評論は「いま近代短歌がおもしろい」というフレーズからはじまる。「いま」とはいつのことだろう。小高さんがこの種の意見の萌芽ともとれる発言をしたのは、一九九〇年代のことだったかと思うが、近代短歌は一九八〇年代にだって魅力的だったと思うし、一九九〇年代や二〇〇〇年代の状況をうけての「いま」という文脈で、近代短歌がおもしろい、と言ってしまうのは、どうもアジテーションの匂いが強くて、ロジックとしてのざらつきを感じてしまうのだった。「言語芸術としての短歌という側面がどうも強調されすぎている」とも小高さんは言う。強調されすぎているかどうかは何とも言えないが、近代短歌や短歌史が、現在において共有される場があるとすれば、むしろ「言語芸術としての短歌という側面」からではないだろうか。そんな気がしてならない。夕刻、家人と栄へ。花屋、書店、等で用件を済ませ、食事をしてから帰宅。あすは所用で上京する予定。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 05, 2005

2005年3月5日(土)

昨日、楠見朋彦さんからメールがあって、ボイジャーのドットブックで短篇小説を出したという。詳しくは「マチともの語り」にて。昨夜は眠くなりかけたところで本を読みはじめてしまった。一九八〇年代の女歌についてのあれこれ。睡眠時間がさらにスライドする。午後、原稿のメモ、大筋をまとめる。夕刻、義母が来て、家人と三人でしばらく話す。題詠マラソン2005、3月中には走りはじめるつもりなのだが、なかなか手が着けられない……。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 04, 2005

2005年3月4日(金)

未明近くまで起きていたせいもあるが、この数日の疲れが一気に出たようで、正午近くまで熟睡する。午後、昨日依頼のあった仕事の件で電話。近々打ちあわせをすることになった。読み切れずに積んであった作品集や雑誌を一気に読み進める。夜、いわゆる「将棋界の一番長い日」のことが気になって、NHK・BS2のA級順位戦最終日の中継をときどき見る。江村彩さんの歌集批評会のメモをまとめる。批評会は、やりっぱなしがいいのか、記録的なものを少しでも残すのがいいのか、どうなんだろう、と思っているうちに、長いメモになった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

江村彩第一歌集『空を映して』批評会/メモ

江村彩さんの第一歌集『空を映して』批評会のメモ。パネラーは、加藤治郎さん小島ゆかりさん小林久美子さん天野慶さんの四人、そして進行が荻原裕幸。加藤さんは、まず、選歌力がない、前半の「家」をめぐる歌など、なぜこんな歌を入れるのかと感じられるものがあり、玉石混淆と言わざるを得ない、作品の取捨の線引きをきちんと定めることが必要だと課題をつきつけた上で、パネラーが良い歌として選んだものにほとんど重なりがないのを、多様な読者にひらかれたこの歌集の美質として指摘した。また、社会性の強い作品にこの歌集のもっとも良質な点があるとも指摘。現実の厳しさを想像させ得るかどうか、作中に、現実の行為へ踏み出すための心理的な契機が含まれているかどうかがポイントだと捉えていた。小島さんは、加藤さんが課題とした選歌力の問題をめぐって、たしかに前半の「家」をめぐる歌でははじめつまづくが、いったん全体を読み通したときには、素朴な日常の姿が見えて来る、それはそれで良いのではないか、と、ややいなし気味のコメントをしながらも、逆年順の歌集構成を、時系列に沿った方が良いのかも知れないと指摘した。その方が、後半の原石的な輝き、半ばにある海外詠の異国そのものを素直に摂取している感じ、前半の素朴な日常がそれぞれ読者に届きやすいからだという。歌集全体をめぐるこの二人の発言は対照的にも感じられたが、かなり似た点を難じていたのだと思う。斎藤茂吉『赤光』は、初版では逆年、以後の版では編年、と構成を変更している。どちらが良いなどと言える問題ではないにしても、初版が方法意識をきわだたせ、以後の版が私的な時間に沿ったプラスαを呼び寄せているのはあきらかだろう。『空を映して』では、文体と構成とが齟齬している印象がある。小林さんは、半ばの海外詠にベストの作品が集中しているという意見。全体に、読者の側の踏みこむ余白が少ない、ものごとをきっちり言い過ぎている、などの印象を受けるなか、特に前半では、破綻がないものの良識の枠内で書かれる作品が多いのに対して、海外詠では、理を排して、感覚に訴えるものをいきいきと描いているという。この点をめぐって、加藤さんは、それは長期滞在ではあっても旅行者の視点ではないか、そこに住む一人の人間の姿を見せるような方法もあるのではないか、先行する歌人たちの海外詠の試みから吸収したものが少ないのではないか、等。小林さんは、在住者の視点がないのも一つの選択と言えないか、表層を表層として描くところに江村さんの個性があるとあくまで文体の問題として捉えていた。海外詠については、小島さんの意見をもっとしっかり聞きたかったのだが、滞米中、日本が過去世のように感じられた、という話があって、それ以上は聞けないかなと思った。ぼくも加藤さんとほぼ同じ意見で、海外詠については、方法意識が甘いあるいは緩い、と感じられる。ただ、中途半端な在住者としての視点よりも、日本から断絶されたないしは解放されたといったあたりで意識を掬いとった方が、ことばがいきいきするのかな、と、小島さん小林さんという体験者の意見を聞いて、とりあえずはそう了解せざるを得なかった。むろんまだ疑問が晴れてはいない。そもそも前半の日常詠についても海外詠についても、意見を分岐させているのは、江村さんの散文的な、と言うか、作文的な文体の問題じゃないかと考えられる。一首で何かを伝えきることができないから短歌としての修辞が生まれ、あるいは連作という方法が生まれるわけだが、そうしたジャンルの歴史的な経緯に対して、アプローチが甘いか無頓着なのだ。中途半端に何かを語り、中途半端に省略している。そこに何かすっきりしないものを感じるなと思っていたところ、天野さんは、他の歌集と違って、読後に人生の重さみたいなものが残らない、爽やかな印象を受けるという。日常の何でもないようなことが大袈裟で劇的に捉えられていて、不幸が生じさせるドラマとは全く対極の位置にある、そこに幸福感がにじみ出て、個性があるという意見。天野さんの話を聞きながら、価値観の多様化というフレーズがあたまをめぐっていたが、そのような幸福感が、テキストからおのずと読みとれるものなのか、読者側の私的な条件によって読みとれるものなのか、がいちばんの問題だろう。中途半端とぼくは書いたが、その中途半端ゆえに生じた、向日性と呼んでいいような明るさがこの歌集にはたしかに充ちている。が、幸福感と向日性とは微妙に違うものである。批評会を終えて、あらためてこの点を考えてみようと思っている。以下、ぼくの好きな歌を一首あげておく。外海に包まれたという意識下での内海のやさしさ、この対照感は快いと思う。

われわたしわたくしあたしうちうみはやさし小波に足洗いつつ/江村彩

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 03, 2005

2005年3月3日(木)

桃の節句。午後、東桜歌会の詠草を整理してプリントを作成する。仕事の依頼のメールが一件。と、ほぼ同時にMさんから、その仕事の件でぼくを紹介したのでよろしく、というメ−ルが。広告の仕事のような、短歌の仕事のような、異色の内容のものなので、自分にできるかどうかをしばし考える。夕刻、栄の愛知芸術文化センターへ。東桜歌会の例会。参加者11名。きょうは岡井隆さんが都合でお休みだった。岡井さんがテクニカルな面で註文をつける箇所を想定して、ところどころその手のコメントを挟みながら進行をしたら、やけに疲れた。歌会終了後、有志で居酒屋へ行く。深夜、帰宅。家人のインフルエンザはどうやら治まりかけている様子だが、まだ咳がかなりひどい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 02, 2005

2005年3月2日(水)

昨深夜、Iさんから雑誌の企画の件で電話。長電話する。ネット歌人という括りがあって、ときにはぼくたちもその括りのなかに入ったりするけれど、歌壇的メディアに名前が出る人のほとんどは、可能性の(あるいは危険性の)入口にいるに過ぎないのではないか。ケータイ短歌であるとか、某大手SNSなどを見ているとそう実感せざるを得ない。等々。早朝、家人の熱が38度台までさがる。午前、確認が済んで、Mさんの歌集の訂正データをコンテンツワークスに渡す。正午近く、家人の熱が37度台になる。午後、近所のジャスコまで買い物に出かける。夕刻、家人が平熱に戻る。Hさんから電話。東桜歌会の話など。夜になっても家人が平熱のままなので、ちょっと落ち着いたかなという感じ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 01, 2005

2005年3月1日(火)

三月となる。1日午前0時、題詠マラソン2005の投稿がはじまった。午前4時台以外はずっと投稿が続いているし、1時間あたり200ほどのアクセスがあるようだ。午前、家人の熱があがりっぱなしなので、ふたたび内科へ。インフルエンザの検査、三回目でやっと陽性が出る。今年はあまり流行してないらしいタイプだというが、それにしても流感らしき症状が出ているのだから、早めに抗ウイルス剤を出してくれればいいのにと思う。気になって調べてみると、処方された薬は、予防で使うと保険がきかないらしい。それが理由なのか……。午後から夜にかけて家人の熱は40度前後。深夜に近くなって少しさがりはじめる。

※追記。題詠マラソン2005会場の3月1日のアクセス数は4420だった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« February 2005 | Main | April 2005 »