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April 27, 2005

「現代詩手帖」5月号に執筆

「現代詩手帖」5月号が届いた。短歌時評「うたの凹凸」の三回目。「NHKの短歌観」と題して、400字×3枚を執筆。三月十九日のNHKスペシャルで放映された「ケータイ短歌 空を飛ぶコトバたち…」の率直な感想、と言ってたぶんさしつかえない内容だと思う。

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「東海の文芸」を執筆

4月27日付の朝日新聞夕刊、中部版学芸面のコラム「東海の文芸」に、詩歌句を対象とした時評約2000字を執筆した。対象にしたのは、水尾佳樹さんの企画した三月十二日の名古屋市中区でのポエトリーリーディングのイベントならびにそこで朗読された若原光彦さんの作品。それから、川柳誌「緑」の臨時増刊号として刊行された渡辺和尾さんの個人誌「青い実」の復刻版。

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April 26, 2005

「短歌」5月号に執筆

角川書店「短歌」5月号が届いた。特集は「栗木京子」。「愛誦性を超えて−栗木京子の言葉の位相」と題して400字×10枚を執筆。『水惑星』『中庭』の作品を中心に、ことばをめぐる栗木さんの方法意識について、感じていることをシンプルにまとめてみた。

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April 21, 2005

「Judy」6月号に執筆

小学館の女性向けコミック誌「Judy」6月号が届いた。「表紙の短歌」の選および解説コラム「三十一文字のJudyたち」の掲載第一回目である。今回は五十嵐きよみさんの第一歌集『あなたに似た人』から「まっさらに戻って一から始めたい他人の記憶の私を消して」を紹介した。

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April 12, 2005

2005年4月12日(火)

朝まで仕事をして午前中に睡眠というあいかわらずのサイクルが続く。午後、中京大学のオープンカレッジの担当者から、明日から講座です、と電話。夕刻、慌ただしく家人と出かけ、星ヶ丘三越で「青山剛昌展」を見る。最終日の閉展ぎりぎりだった。展示物は、マンガの原画が大半で、見渡したところ、ぼくがいちばん年長の観覧者だった。展示を見て食事をして慌ただしく帰宅。山本真紀さんたちの劇団空中サーカスが8月に予定している「夏の終わりの朗読会」で、ぼくの短歌とエッセイを朗読してもらえることになった。作者として観客として、とても楽しみであり、そしてどきどきしている。興味のある人はぜひ。

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April 11, 2005

2005年4月11日(月)

午後、一人でウォーキング。途中、ブックオフで資料用の文庫本を買う。この古書店はこの古書店で、便利ではあるなあと思う。その後、外で仕事をしていた家人と合流、かなり遅い昼食を済ませ、桜の咲いている道を選んで帰る。何がひきがねになったのか、金曜あたりからちょっとしたトランス状態で、特定の仕事は進むものの、実務的要素の多い仕事がかなり滞ってしまった。きのうなどはもうひどいもので、大袈裟な言い方をすると、日常的な記憶が粗方とんでしまっている気がする。この状態ゆえに進む類の仕事にとっては好都合だが、そんなことばかりも言っていられないので、むりやりに覚醒する。

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April 10, 2005

2005年4月10日(日)

オフではなかったものの、どこかぼんやりした感じだけが残る一日。石井辰彦さんのウェブ日記に「私の韻文の作品は、どれも短歌なんですけど……」というくだりがあって、この人の、あたりの柔らかな、しかし短歌観をめぐる断固たる自信に、説明しがたい微笑を浮かべてしまった。ただ、石井さんが、馬場あき子さんや他の誰かに「たまには短歌も書きなさいな!」と言われるのは、短歌観の問題ではなく、連作の一首一首があまりにも緊密な構成をとるからだろう。連作を一首一首にほぐしたとき、その一首だけで読める、意味がわかるだけではなく作品として独立している、と感じられる作品の比率があまりにも少ないと、三十一文字×自然数という形式で構成された短歌ではないもの、と読者に判断される可能性はおのずと高くなるのではないだろうか。数値を正確に言って線引きできる話ではないけれど、これはやはり「比率」の問題だと思われる。

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April 09, 2005

2005年4月9日(土)

午前、友人たちと花見に行くという家人を見送りがてらウォーキング。喫茶店で朝食を済ませ、家人を見送ったあと、資料探しのためにふたたび歩く。肝心の欲しかった数冊は見つからなかったが、古書店の棚を眺めているうちに考えがいくらか整理できた。以前は新刊の書店の棚を見ているだけでも考えがそれなりにまとまったものだが、近頃はどうも売上の効率ばかりを重視して本が並べられているみたいで、棚全体がとらえどころのないノイズにも思われるのだった。大手某古書店チェーンなどは別としても、むかしながらの古書店の棚は、ある種の音楽のようで、考えになにがしかのかたちを与えてくれるらしい。

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April 08, 2005

2005年4月8日(金)

昨深夜、家人がいきなり、眼がおかしい、と言い出した。結膜が腫れたような弛んだような感じで、左の目頭に近いあたりが膨らんでいるみたいに見える。まぶたもそれに影響されているのか、開きにくそうな様子だった。訊いてみると、はげしいかゆみがあって強くこすったのだという。こどもじゃないんだから、多少は加減しろってば。眼科のウェブでいろいろ調べているうちに、次第に元に戻りはじめる。一夜明けてほとんど元に戻る。しばらく様子を見ることに。あっと言う間に桜が満開に近づいたようなので、午後、ウォーキングをかねて、山崎川で家人と花見をする。天気が良いせいか、平日なのに人があふれていた。

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April 07, 2005

2005年4月7日(木)

午後、東桜歌会の詠草をまとめてプリントを作成する。夕刻、栄の愛知芸術文化センターへ。例会の参加者は9名。題詠「桜」で一首と自由詠で一首。桜は書きにくいという声もあったのだが、私見では、この歌会、書きにくいはずの題詠の方が自由詠よりもむしろ完成度の高い印象がしばしばあるのだった。題詠という条件があった方が、叙事的な文脈を整えやすいようで、歌会ならではの実験的な表現が独走し、一首としてのまとまりがなくなりがちになるところへうまく作用するのか、中和や抑制などの効果が出ているような気がする。終了後、いつものように有志で居酒屋へ。深夜、帰宅。

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April 06, 2005

2005年4月6日(水)

午後、栄へ。デパ地下のイートインで家人と昼食。その後、MさんならびにTさん夫妻と打ちあわせ。文芸関係ではない仕事。夕刻、書店等をめぐって、夜、帰宅。総合誌「短歌」4月号を読む。特集は「平成短歌この十五年の収穫」。それぞれの執筆者の文章自体はおもしろく読んだが、正直なところ、この十五年が見えて来たという気はしなかった。現在ほど現在を語るのがむずかしい時代はないのかも知れない。ただ、数人の執筆者をのぞくと、意識的に視野を限定している印象が強い。もう少しくらいは十五年という時間の流れ全体にかたちを与える動きがあってもいいのではないかと感じた。

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April 05, 2005

2005年4月5日(火)

春らしいぽかぽかとした一日だった。近所を歩いていると、桜が咲きはじめたのがはっきりわかる。午後、栄へ。定例の読書会。テキストは、ノルベルト・ボルツ著/村上淳一訳『世界コミュニケーション』(東京大学出版会)。示唆に富んだ面もあるが、従来的な思考を挑発的に批判する箇所に、ところどころ論理の飛躍があるようにしか読めないのがどうしても気になる。全体を読めば整合性が見えるのだろうが、途中まで読んだ現段階ではどうも気になる方へと大きく針がふれている。終了後、メンバーで食事。夜、帰宅。俳句の「切れ」について、もう少し実感的に把握できないものかと、あれこれ本をひらいている。論理と実作例のうまく結びつくものがなかなか見つからない。

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April 04, 2005

2005年4月4日(月)

朝まで仕事をして午前中に睡眠。午後、家人と名古屋駅へ。家人の高校時代の友人たち二人とそのこどもたち三人に会う。五歳が一人と三歳が二人。三年ぶりになるのか。こどもたちがすっかり成長していて驚く。ずいぶん穏やかな性格のこどもたちなのだが、全力で親を困らせている姿はやはりものすごいもので、目眩に襲われそうだった。夕刻、帰宅。帰宅してみると、家人と二人でいる時間や空間というのは、かなり静かなものなのだなと気づく。夜、明日の読書会のテキストを予定のページまで読み進める。思ったよりも時間がかかった。松木秀さんの歌集『5メートルほどの果てしなさ』の評判、とても良いようだ。一安心。

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April 03, 2005

2005年4月3日(日)

昨深夜、家人の髪のカラーリング。少し赤みがかった茶髪、となるはずだったのだが、ことばのイメージよりはかなりおとなしい感じのしあがりに。きのうからどことなく胃がむかむかして、きょうはさっぱり食欲がなかった。夕刻まで、温めた牛乳を一杯飲んだだけで過ごす。ふだんは、ともすれば一日に四回食べたくなるほどの食欲なのに……。夜になると、なにごともなかったかのようにふつうにお腹が空きはじめるが、どこかに気怠い感覚が残っている。原稿、パラレルに二つを考える。明後日の読書会のテキストを読み進める。集中力がない。思考がさっぱり焦点を結ばない。

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April 02, 2005

2005年4月2日(土)

早朝まで仕事。午前中はひたすら眠る。午後、家人と熱田のイオンへ。あれこれと必要なものを買う。川本千栄さんから同人誌「ダーツ」第7号が届く。今回の特集は「歌人論」。評論誌に方向性をもたせようとすると、一般に、史的区分によるテーマが浮上して、メンバーが義務的に執筆するケースも見られるが、この雑誌は舵取りがうまくできていて、毎号、メンバーの好きなものが書けるように配慮されている。史的フレームに絡めとられないこと、それ自体が一つの方向性にもなっているらしい。ただ、それがときに気になる要素を生じさせる要因でもあるようで、川本さんの仙波龍英論などを読んでいると、フレームから逃れようとする手際が、やや強引に見える部分もある。史的位置づけから離れた鑑賞も大切だろうとは思うものの、同時代の歌集を並べれば、仙波の詞書ないし註は、岡井隆『人生の視える場所』から小池光『日々の思い出』に到る一九八〇年代の詞書シーンの時期的な真ん中に位置するものに見えるし、同時代的固有名詞の活用については、永田和宏の指摘した「普遍性という病」(から脱するため)のコンテクスト上にあるとも見えよう。これらの歌集や歌論はいずれも八〇年代の史的な里程標のようなものであり、ライトヴァースではない、という仙波自身の主張は、この別の角度からの史的足跡への自負とも言えるのではないか、と、ぼくなどは思う。史的な位置づけを離れる前に、史的な位置づけの再認識も必要ではないだろうか。川本さんの着眼点はとても好きだが、このあたりに、同時代的視点から引き離そうとするいささか強引な姿勢が見える気もした。

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April 01, 2005

2005年4月1日(金)

四月となる。午前、愛知万博のパビリオン予約のため、家人とローソンに行ったところ、受付開始の10時、すでに長蛇の列はできているし、回線が飽和状態で列はまったく動きもしない。30分経っても一人目の予約が完了しないので、見切りをつけて、外で遅い朝食をとる。午後、時評のための資料を読み進める。焦点がなかなか見つからない。夜、プロ野球セ・リーグの開幕戦、中日ドラゴンズのテレビ中継があったので観戦する。4対0で中日が横浜に勝つ。1シーズンに数回といった感じの劇的な展開だったと思う。深夜、仕事の続き。枡野浩一さんの公式サイト「ますので」が正式にオープンした。なかなか凝った構成。

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