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January 01, 2007

観覧車はいつどこで回っているのか?

*学校図書「教科研究」二〇〇五年一月号掲載

観覧車はいつどこで回っているのか?
荻原裕幸

 ごくわずかの期間だったが、以前に塾の講師をしていたことがある。小学生と中学生を対象に、進学よりは補習が主な目的で、どこかしらのどかな雰囲気があり、生徒との日常会話をする機会の多い塾だった。ときどき、なかよくなった生徒の何人かが、詩を書いたので読んでほしい、と言っては作品を持って来た。ほとんどはとても素直な内容で、ところどころ同じフレーズを繰り返したリフレインの技法があった他は、エッセイを自由詩風に改行した感じの文体だった。ときには内容が日記そのものというのもあった。彼等に感想を伝えたあとで、なぜ詩を書くのか、短歌や俳句を書くことはないのか、と訊ねてみると、いつもそれぞれが口をそろえたように、詩は読んで自分にも書けそうだと思った。短歌や俳句はルールがあるからむずかしい。ことばもむずかしい。どうやったらおもしろく書けるのかよくわからない。などと言うのだった。なるほどと思いながらも、なんとなく淋しいきもちで苦笑を浮かべていた。
 実は、ぼく自身も、中学生の時期には、短歌ではなく詩を書いていた。教科書に載っていたものを参考にしたり、大好きなポップスの歌詞に影響を受けたりして、あまりむずかしいことを考えなくても書けるんじゃないかと思っていた。むろん詩には詩のむずかしさがあるわけだが、どうやらその入口あたりにあるハードルは、短歌や俳句のそれよりもずいぶん低いものらしい。ぼくの場合、高校生になってから、文語にもそれなりに慣れて、もろもろの知識が少し増えたところで、寺山修司や春日井建といった現代の歌人の作品に惹かれ、とりつかれるように短歌を読み、そして書きはじめたのだが、それでも、中学生までは、短歌にあまり深い興味を持てなかった。五七五七七という定められた型があり、多くが意味を実感として掴みにくい文語で書かれ、しかも歌人の私的経歴や時代背景を知らないと発想がわかりにくいという事情は、やはり短歌の世界の入口のハードルを高くしてしまっていたのだろう。
 ただ、ぼくが中学生だった頃も、後々に塾の講師をしていた頃も、教科書に掲載されていた短歌と言えば、古典か近代、新しくてもせいぜい戦後に発表された作品だった。戦後生まれの歌人の作品はもとより、昭和生まれの歌人の作品もほとんど見ることがなく、生徒がまずはじめに抱く短歌のイメージは、実際にその時代に書かれた作品に比べ、かなり古風なものだったようだ。現在の教科書を見ると、この点はずいぶん違って来ている。ハードルの高さがなくなったわけではないものの、口語をつかった作品も増えているし、何よりも現在の感覚ないしはそれにかなり近いところで発想された作品が多い。詩のように自然に書きはじめるケースは稀かも知れないが、何かきっかけがあれば、短歌を読んで楽しんだり自分で書いたりしやすい条件がととのえられたように感じる。歌人の一人として、これはとてもうれしいことだ。

         *

 せっかく入口のハードルが低くなったようなので、短歌をむずかしいと感じさせてしまうその他の原因についても少し書いておきたい。中学生のみならず、大人になってから書きはじめる短歌のビギナー、それにまた、学校で教える側の先生たちにとっても、短歌の世界がむずかしく感じられる最大の原因となるのは、どうやら一つの作品には一つの定まった読み方があるという先入観であるらしい。短歌にはたしかに、ある程度決められた読み方というものが存在するが、作品には、自由に読んでも良い部分が必ずある。短歌は、五七五七七というわずか三十一音で構成されているために、英語で言うところの5W1Hをすべてきちんとととのえるのは困難であり、何かを強く伝えるために、必ずどこか他の部分で省略が生じるのだ。きちんと書かれた作品というのは、この省略された部分に対して、読者がある程度自由に読んでも構わない構成になっている。ところが、こうした自由に読んでもいい部分に対して、何か定まった読み方があるのではないか、と思いこんでしまうと、そのとたんに短歌の世界のハードルは高くなってしまうのだ。茶席の作法を知らない人が茶席に招かれたとき、しぐさの一つ一つにいたるまで、絶対に作法を間違えてはいけないという思いこみから、がちがちに堅くなって動けなくなってしまうのと同じことなのだと思う。

  観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)  栗木京子

 たとえば、この一首を読んでみると、「我」が恋愛感情を抱く相手と観覧車に乗っているときの想いを描いたものだというのはすぐにわかる。あえてそう言わずとも観覧車は回るわけなのだが、わざわざ「回れよ回れ」と強調するのは、「君」と過ごすきょう一日が、いつまでも「想ひ出」として強く心に刻みこまれるようにという願いや祈りのきもちがある、と読むのがいいと思われる。そして「君には一日我には一生」は、この二人が永く結ばれることはなく、いずれ別れるという「我」の側のいささか哀しい確信をあらわしている。ここまではたぶんそれほどむずかしく考えなくても、何度か読むうちに感じとることができるのではないかと思うのだが、どうだろうか。
 短歌を読むときの問題は、ここから先にあらわれる。不思議に感じるかも知れないが、この作品で定まった読み方をした方がいいのは、ここまでなのである。あとは自由に読んでもいいのだ。自由に読むというのは、いささか抵抗があるかも知れないが、繰り返し言うと、短歌は、作品に記述された情報だけで確定的に読めない部分については自由に読んで構わない。観覧車と書いてある以上、そこが遊園地である可能性は高いが、いつのことだとは書かれていない。週末なのか平日なのかで、歌の背景の雰囲気はかなり変わることになる。天候は、晴なのか雨なのか曇なのかあるいは雪なのか。時間帯は、午前なのか午後なのか夕方なのか夜なのか。そもそも「君」と「我」は具体的にはどんな関係なのか。短歌を読むにあたってものすごく大切な部分ではあるが、しかし、これらは、自由に読んで構わないのだ。散文の表現であれば、当然これらの設定は克明に描かれているであろう。短歌にはそれをするだけの文字のスペースがない。なので、どうしても読み方を変えられては困る部分だけを仔細に描き、その他の部分は読者の鑑賞にゆだねることが多いのである。
 以前、この一首が、戦地へ赴く軍人と内地に残る恋人との関係を描いたものとして鑑賞されたことがあった。「君には一日我には一生」というフレーズは、そう言われてみればたしかにそのように読める。明日をも知れぬ命のあなたにとってはただ一日の想い出になってしまうが、わたしは想い出を一生胸のうちに大切に抱えて生きてゆくのだ、という読み方である。ところが、栗木京子さんは、戦後、一九五四年生まれである。描かれた「君」が軍人であるわけはないというクレームがおのずと出たのだった。「君」が軍人だという鑑賞がなされたとき、どうやら作者の年齢がきちんと知られてなかったようで、勘違いが生じてしまったらしい。ただ、こういう読み方にも絶対に間違いだとは決めつけられないところもあるのだ。
 この「観覧車」の歌は、「君」と「我」が将来結ばれることはないだろうという哀しい確信が描かれているだけで、それ以外の部分については、二人の具体的な関係を決定づけるようなことが描かれていない。つまり、そこは自由に読んでもいい部分である。もちろんたしかに戦後生まれの作者が、軍人との恋を描いたのとは考えにくいが、そう鑑賞されてしまうほどのリアリティがある。つまり、戦中も戦後もかわらずに人が持ち続ける情熱的な恋愛について描いたのだと読めばいいのではないだろうか。何か事情があって永く結ばれることのない二人の関係を、もっとも強く感じられるような読み方をするのが良質の作品鑑賞である。作品に仔細に描かれていない部分をどう読んでも、それを間違いとは言えないのだ。むしろよくできた作品ほど、時代を経ても通じるリアリティがあって、さまざまな読み方を誘発するのである。
 さらに、一つの鑑賞が生まれると、そこから別の鑑賞が誘発されることもある。たとえば、観覧車に乗っているのは、やはりもの淋しい秋のゆうぐれではないか、と読まれたとする。だが、別の誰かにとって、このシーンは春のひるさがりこそふさわしいと感じられるかも知れない。互いになぜそう感じるかを考えてゆけば、季節の文化をめぐる個々のイメージを比べあうこともできるのだ。作品に描かれた情報をきちんと読み解くことと同じく、この自由な鑑賞は、短歌にとって、作品に大きな広がりを生む大切な要素なのである。この自由な鑑賞がゆるされるおもしろさは、ぼく自身が短歌にとりつかれ、以来ずっと短歌を書き続けている理由の一つでもある。

         *

 きわめて個人的なことだが、こうして短歌の作品を丁寧に読み解き、ある部分は自由に読むことをはじめたとき、短歌のみならず、散文における表現についても、それ以前とは比べものにならないほど楽しさが増した。そこに何が書かれていて何が書かれていないかに敏感になると、小説を読んでいてもさまざまなシーンが頭に入りやすくなるし、日常語としてほとんど無意識に書いていた日記や手紙、あるいはレポートなどの強いられて書く文章にいたるまで、書いていてよろこびを見つけ出せるようになったのだった。短歌という定まった型に制約されたことばを読んだり書いたりする苦しみが、逆にことばに対するよろこびを教えてくれた。これは誰にでもあてはまることではないと思われるが、何か参考になることがあるかも知れないので書きとめておく。

         *

 さて、ぼく自身の作品についても少し触れておくことにしたい。作者の弁というのは、しばしば自由に読めるはずの作品の世界を狭くしてしまうことがあるので、できるだけ注意深く書いてみるが、読み方としておもしろくないと感じられたら、ぜひ作者の弁は無視して、できるだけ作品の世界を広げて読んでいただきたい。あらかじめこれをお願いしておく。

  おお!偉大なるセイギがそこに満ちてゐる街路なりこの日本の街路  荻原裕幸

 この一首を書いたのは、湾岸戦争の勃発した年、一九九一年のことである。国家と国家との間の事情はさまざまにあるにしても、戦争というものが一切この世からなくなってくれたらいいと思っていた。けれども、不幸なことに戦争がはじまってしまった。ニュースの映像を見るにつけ、きわめてすさんだ気分になり、自分に何かできないものかと思っては、無力感にうちひしがれることになった。しかもこのとき、日本は戦争をする一方の側に対して、経済的な協力をおこなった。つまり、日本は一方の側に対して正義を認めたということになる。政治の話をここに書くつもりはないので、一連の問題の是非については言わないが、一つだけ確かだったのは、正義をまっとうしようとすることが、多くの人命を失うことにつながるという悲惨な事態である。誰一人死ぬこともなく正義がまっとうできるのであれば、これほど素晴らしいことはないと思うが、戦争という事情がそれを許してはくれない。
 であれば、どうしても、声高に正義と言うのが憚られるところがあるのではないか。そんな思いから、正義というものはどこにあるのか、正義とは何なのか、正義と本当に言い切れるものがあるのか、などと自問自答を続けることになった。そのときに書いた作品が掲出の一首である。前述したように、明確に書かれていない部分については、自由に読んでいただいて構わないのだが、どうしてもこの作品で留意してほしいのは、「正義」と書かずに「セイギ」とカタカナで表記した点である。ただ「正義」と漢字で表記してあれば、それはふつうの意味を持つことばとして読めると思うが、カタカナで表記することにより、ふつうとは違う、つまり疑問を感じながら正義について考えている自分のきもちをあらわしたかったのである。蛇足的にさらに説明を加えれば、「偉大なる」という少し大袈裟なことばを冠することによって、正義に対する疑問を強調できないかと思った。さらに言えば、本来「偉大なるセイギがそこに満ちてゐる街路なりこの日本の街路」で三十一音であるのに、わざわざ「おお!」という文字を付け足して字余りの破調とし、自分のこだわりの部分がよりいっそうはっきりするように工夫をしてみた。日本に正義が満ちている、とすれば、それはいったいどのような正義なのか、どこまでも考えてみる必要があると思ったのだった。
 何度も繰り返し書いているように、もちろんこの一首も、湾岸戦争に限定して読む必要はないと思う。大平洋戦争を想定してもらうのも構わない。単純にその時代の政治的メッセージを伝えるためではなく、ときに避けがたく生じてしまう戦争をきちんと考えることにつながってくれたら、という思いをこめた作品であるのだから。
 そう言えば、この一首を読んだ知人から、ウルトラマンとか仮面ライダーとか何とかレンジャーとか、あんな感じのヒーローがいたるところにいるということなの? と訊かれたことがある。さすがに書くときにそれはまったく想定していない。力の抜けてしまいそうな読み方ではあったが、そういう読み方をされても構わないなとも思った。ウルトラマンは、つねに正義の味方として、人類を怪獣や異星人から守ってくれるが、社会学者の大澤真幸さんは、ウルトラマンと人類とは、日米安保条約下のアメリカと日本の関係と構造的に同じだということを指摘している(ちくま新書『戦後の思想空間』)。ヒーローがいたるところにいるという読み方からも、何か日本の社会事情のようなものが見えて来るのかも知れない。たとえどんな読み方からでも、この世界のしくみを考えるきっかけにさえなってくれれば、作者としてはとてもうれしいのである。

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秀歌と愛誦歌とリアリティ

*短歌誌「井泉」二〇〇五年一月号掲載

秀歌と愛誦歌とリアリティ
荻原裕幸

 #1

 昨年、総合誌「短歌」で、現代の秀歌を一首だけ選んで鑑賞するという企画があった(二〇〇四年七月号・八月号「101歌人が厳選する現代秀歌101首」)。できるだけ新しいものを、と思って、手元にまとめてある好きな歌や有名な歌をたどりながら考えたものの、なかなか決められない。とりわけ、この二十年ほどの作品では、好きな歌やおもしろいと感じる歌はいくらでもあるのに、秀歌と呼ぶのにかなり強い抵抗があるものが多いのだ。読んで圧倒されるような感覚が生じないと言ったらいいだろうか。そこで、時代をどんどん遡って、一九七〇年近くまで範囲を広げてみると、あ、これは、という歌がいくつも見つかりはじめた。悩んだ末に、ぼくが選んだ一首は、馬場あき子の次の作品であった。

  しずめかねし瞋(いか)りを祀る斎庭(ゆにわ)あらばゆきて撫でんか獅子のたてがみ  馬場あき子

 第四歌集『飛花抄』(一九七二年)の巻頭の連作「飛花抄」のはじめに据えられた一首である。連作のサブタイトルは「鬼とは何かまたその消滅への挽歌」。世阿弥を題材とした一連であり、日本の精神史としての鬼をモチーフにしたものだ。同時期に馬場が刊行した評論『鬼の研究』(一九七一年)等で、徹底して追い求めたモチーフでもある。「ゆきて撫でんか獅子のたてがみ」というフレーズには、自身の瞋りをも含んだ〈鬼〉に、同化するわけでもなく、否定するわけでもなく、何か新しいかたちへ昇華しようとする馬場の思惟が見え隠れしている。加えて言えば、そのような古典の世界へのつながりの他にも、一首の背景に、六〇年安保から全共闘にいたる左翼的なイデオロギーが敗北に到らざるを得なかった時代の流れが刻印されているのを見てもいいのではないか。「しずめかねし瞋り」とは、左翼的な運動を促した時代のエネルギーとも読めるのではないだろうか。
 馬場の意図を的確に言いあてるのは困難だし、二重に絡んだ解釈は、読者によって多少揺れの生じるものかも知れないが、注目したいのは、作品のことばの〈外〉にある何ものかをある程度はっきりと読者に意識させ、おのずと引き寄せて読ませる点である。ぼくがこの二十年ほどの作品に対して、好きだとかおもしろいとか感じるにもかかわらず、秀歌と呼ぶのに抵抗をもった理由はここにある。あまり強引な定義はよくないとしても、秀歌というのは、書かれたことばの〈外〉から、読者が、さまざまな体験、そして歴史や文化にかかわるコンテクストを強く呼び起こすことができる。それが条件になっているようだ。読む側の状況、つまり読者の知識や経験によって読みが変化するとしても、条件の一つとしてこう言っておきたい。

 #2

 現在、短歌の価値をはかる軸はあまりにも不安定であり、ときにきわめて恣意的にもなりがちである。秀歌の定義めいた条件を述べたのは、短歌の価値をはかる軸がどのように不安定になっているかを考える一つの視点としてである。何がどのように不安定なのかを意識できれば、恣意的な価値観に陥ることを避けやすいのではないかと思うからである。
 繰り返しになるが、この二十年ほどの短歌、正確に言うと、もう少し長く、一九七〇年代あたりまでの短歌に対して、好きでありおもしろいと感じても、ぼくは、それを秀歌と呼ぶのに抵抗がある。理由は、秀歌というものが、書かれたことばの〈外〉から、読者に何らかのコンテクストを強く呼び起こさせることが一つ条件であるようなのに、その感覚が生じないからである。ぼく個人の感覚によるところも大きいのだろうが、いろいろ考えてみると、個人の感覚を超えた場所に、もう少し一般的な根拠があるようにも感じられる。と言うのは、一九七〇年代から八〇年代にかけては、短歌のみならず、文芸全般において、価値観の大きな揺らぎにさらされた時期であり、先にあげたような条件での秀歌が見つけにくくなる時期もこれと重なるからだ。
 価値観の大きな揺らぎ、とは、端的に言えば、作者の内的なテーマの表現として作品を捉えるための場として機能した時代の状況(大状況とか共同幻想とか〈大きな物語〉とか呼ばれていた概念)が、作者と読者との間でうまく共有されなくなってしまったことによって、従来通りの価値観が成り立ちにくくなったことを言う。共有されないゆえに、作品を通して作者の内面をうまく感じとることができなくなり、同時に、それまで作者の内面だと思われていたものが、実はこの共有によって成立することばのイメージに過ぎないのではないかという問題も露呈した。ポストモダンの時代と言われ、モダン=近代の、次の時代が来たなどとも誤解されたが、実はそうではなく、従来の価値観が問題を露呈し、かと言って新しい価値観が成立するわけでもなく、人の考えが、いつまで経っても近代を(悪しき歴史を残してしまった近代を)抜けられないのではないか、という迷宮的な状態があきらかになったのだった。
 一九七〇年代以降、短歌において秀歌と呼ぶべきものが見つけにくい=書かれにくいのは、時代の状況を共有することができない、すなわち、作品に書かれたことばの〈外〉から読者が特定のコンテクストを強く呼び起こせないこと、が大きな要因だと考えると、文芸の流れのなかでの短歌の状況が見えて来るように思う。馬場あき子の一首をはじめとした秀歌の価値は、歴史の上に、現在も揺らがぬものとしてあるが、同じ方法によって秀歌を書いたり短歌の価値をはかったりすることは、もはや不可能に近いのではないだろうか。

  観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)  栗木京子

 第一歌集『水惑星』(一九八四年)に収録されたこの一首の初出は、栗木京子が角川短歌賞で次席となった一九七五年である。一九七〇年代の代表歌と言っていいと思うし、いちばん愛誦されている歌でもあろう。はじめにあげた馬場の作品よりも、むしろ一人称の置かれたシチュエーションは見えやすい作品であり、作者の内面をそこに見ることができるのではないかとも感じる。しかし、馬場の作品と決定的に違うのは、この歌が呼び起こす背景のコンテクストの位相である。馬場の作品は、古典や時代の状況と連動して〈特定の〉コンテクストを強く呼び起こすのだが、栗木の作品では〈特定の〉コンテクストといった感触が薄くなっている。書かれた時代を誤読されたこともあったように、背景の状況として戦中でも戦後でも現在を呼び起こしても(いや、現在となると多少怪しいかも知れないが……)それなりに成立する文体の構造をもっている。
 短歌のフォルムに特有の省略、英語で言ういわゆる5W1Hのうちでモチーフに深くかかわらないところの省略をおこなっている。恋愛感情を強く抱く相手と観覧車に乗って楽しく過ごすきょう一日が、相手と結ばれないまでもせめて想い出として強くこころに刻みこまれるように、という願い、あるいは祈りにも似たきもちの部分が鮮烈に抽出され、そのかわりに、どんな相手とどんな時間を過ごしているのかといったシチュエーションが省略されているのだ。こうした省略に〈特定の〉コンテクストが流れこむのが、先の馬場の歌の場であり、時代であった。栗木の歌の場合は、読み手に〈自由な〉コンテクストが流れこむようだ。前者は秀歌の条件を満たすものであり、後者は愛誦歌の条件を満たすものである。栗木の意図であると言うよりも、時代の状況を共有できない短歌の場がそうさせたと言うべきか。

 #3

 背景に呼び起こすコンテクストに対して読者の側が抱く〈自由な〉感じ。栗木の作品がすべてそうだとは言えないし、一九七〇年代以降の作品がすべてそうだとも言えないのだが、時代の状況を共有しにくくなった時代以降に浮上しているコンテクストの位相のこの変化は、一九八〇年代におけるライトヴァースや一九九〇年代におけるニューウェーブ等、短歌の新しい展開を成立させた大きな原因にもなったと推察される。口語の対話を導入して同時代の空気を体現した文体、記号やことばの歪みを導入してレトリックを進展させた文体、等々は、それまで作品の背景に呼び起こす〈特定の〉コンテクストが補完してくれていた短歌の価値を、一首のなかで何とか成り立たせようとた試みでもあると考えられる。どのように書いても〈自由な〉コンテクストの上に作品が乗るのであれば、一首のなかに価値の礎をダイレクトにもちこむことは必然的な発想とも言えようか。ここで一九八〇年代から九〇年代前半の試行を検証する余裕はないので簡単にまとめると、現在も短歌史的な記述で避けられがちなライトヴァースやニューウェーブを分析しないことが、現在の短歌の価値をより不安定に感じさせているのではないかということである。一九九〇年代の半ば以降、話題になりつつも混沌とした分析しかなされない多くの作品の流れのみなもとは、いずれもライトヴァースやニューウェーブにあると考えられるし、本質的な部分に、読者が一首の背景に呼び起こすコンテクストの〈自由な〉感じが影響しているようだ。

  廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て  東直子
  球体にうずまる川面いやでしょう流れっぱなしよいやでしょう  飯田有子
  ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。  穂村弘

 東直子の第一歌集『春原さんのリコーダー』(一九九六年)、飯田有子の第一歌集『林檎貫通式』(二〇〇一年)、穂村弘の第三歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(二〇〇一年)からの引用である。漠然としたシチュエーションで、読者が内面にたどりつくための手がかりがきわめて薄い。わけがわからないと言ってしまえばそれまでだが、ここには、いずれ〈自由な〉コンテクストが呼び起こされるのだから、読者がより強いリアリティを感じられるしくみ、まるで自分のこととして感情移入しやすいしくみとして、シチュエーションを固定する要素をほぼ排除し、感情の核のようなものだけを残すという発想の転換がある。おもしろい歌だと感じはするものの、これは従来の意味での秀歌にも愛誦歌にもならないだろう。新しい読解の方法が必要なのだ。ぼくたちは現在、そんな状況に立たされている。

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愛誦性を超えて/栗木京子の言葉の位相

*角川書店「短歌」二〇〇五年五月号掲載

愛誦性を超えて/栗木京子の言葉の位相
荻原裕幸

 #1

 昨年、代表作である「観覧車」の一首に言及する文章をいくつか書くなかで、栗木京子の作品を第一歌集『水惑星』から順に再読してみた。『水惑星』『中庭』『綺羅』と読み進め、第四歌集『万葉の月』を読んだあたりで、栗木が展開する言葉の位相に、何かしら奇妙なものを感じていた。うまく考えが整理できるかどうかわからないが、依頼テーマが「言葉」ということなので、そのとき感覚について、少し考察してみたい。
 歌集『水惑星』で示されたおおよその制作年代をそのまま信じると、栗木京子は、私的な叙事のスタイルから短歌を書きはじめている。これは、歌集冒頭の「二十歳の譜」などにも如実にあらわれている。自己をとりまく私的な叙事をフレームとして、定型や韻律のうちに自己像を構成してゆく手法だ。この手法自体は珍しくはないし、むしろごく普通のパターンの一つである。現在もそのまま栗木の作品世界の骨格をなしている。ただ、そうした大筋の流れの他に、隠喩的表現で内面を描く、平たく言えば、言葉の力でこころを映し出す試みが再三見られる。ある時期以降、繰り出される言葉の位相が、二種類に分離したり融合したりしているようだ。
 隠喩的表現にどうもリアリティが感じられなくなって叙事的表現へ、というのは、前衛短歌以降の時代の静かな趨勢かと思われるが、この表現の推移は、現在の状況では、一人の歌人のなかでは不可逆的なものとしてあるようだ。ところが、まして栗木の場合、もともと叙事的表現から短歌を書きはじめているわけで、爾後に隠喩的表現へも食指をのばすのは、世代的に考えると、かなり特徴的なことではないかと感じられる。

  観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)  『水惑星』
  いのちよりいのち産み継ぎ海原に水惑星(みづわくせい)の搏動を聴く  同

 一首目は、代表作と言われ、おそらく栗木の作品のなかでもっとも有名なもの。二首目は、第一歌集の表題を含む作品、つまり栗木にとって歌集の根幹をなす意識のあらわれたものだと考えられる。一首目は歌集の巻頭近くに、二首目は巻末近くに収録されている。
 各作品の空間的なイメージの核となる「観覧車」および「海原」という言葉を比較してみると、前者からはあきらかにどこかの遊園地で観覧車に乗る二人の実景が喚起されるのに、後者は実景としての海にいるか、海を見ているか、そのあたりがわからない。わからないだけではなく、言葉として書かれている「海原」よりも、叙事的な要素としては、隠喩的表現の向こうに見える妊娠や出産や胎児や母としての自己が重要なのである。この二首の言葉の位相はまるで違っている。
 前者が青春期に、後者が私的にはたぶん出産、短歌で言えば女歌の時代の真只中で書かれたという違いがあるとしても、叙事的表現をいったん身につけたあとに隠喩的表現があらわれるのには、それなりの必然があると考えるべきだろう。必然はどこにあったのか。

 #2

 栗木京子が「二十歳の譜」で角川短歌賞次席となったのは一九七五年だという。短歌史的にも文学史的にも過渡期と言っていい時期であり、文芸が何かを渡ってゆく境目の、価値観が微妙に捩れた場からの登場だった。栗木よりも七歳年長の小池光は、同作をめぐり、モチーフである大学生活におけるその七年の差(全共闘とそれ以後と言ったらいいだろうか)をきわめて大きなものとして捉えながら、「キャンパスが、青春が、常態を回復したように、短歌も常態を回復したのであり、栗木京子の歌はもっともあざやかにその先端と典型を同時に示したのだった」と述べている(雁書館刊『水惑星・中庭』解題「聡明な花」)。この小池の評言ほど栗木の登場について巧く言いあらわしたものは、知るかぎり他にはないと思われるが、一点、短歌の常態がほんとに回復したのかどうか、こう断言してしまうのにはいささか留保を要するのではないだろうか。

  かがみ込み数式を解く君が背の縫ひ目のほつれ見てをり我は  『水惑星』
  桃色の服をあてがふ試着室にゴキブリの子の走り去る見ゆ  同

 先に引用した「観覧車」やこれらの作品をめぐり、小池は「ディテールを印象ぶかく描写しながら、一方で隙間をあけ、そこにさまざまな読みを誘導してくる。短歌の常態というのは、単純化すれば、そんな疎密をちりばめたセンテンスの構造にあるともいっていい」とも述べる(同「聡明な花」)。短歌というフォルムに特有の省略、英語で言うところのいわゆる5W1Hのうちで、一首のモチーフに強くかかわれば密とし、さほど強くかかわらなければ疎とする。そうした文体の匙加減は、たしかに短歌の常態と呼ぶべき何かの重要な要素をなしていると思うし、栗木がそれを十全に活かそうとしているのもわかる。ただ、小池の言う短歌の常態、近代の短歌のリアリズムが築いた疎密をちりばめたセンテンスの構造とは、疎に対する読者の補完、つまり「読み」がなされたとき、たとえ解釈が幾筋にわかれても、特定の一人の抱える時間や空間へとそれなりに着地するものだったはずである。
 たとえば斎藤茂吉の一首を読むとき、ぼくたちは、そこにセンテンス上の疎、解釈上の謎がちりばめられていたとして、それを好き好きに個人の感覚で読んでしまうのには大きな抵抗感があると思う。ところが、栗木の作品では、とりわけ「観覧車」の一首で実際に頻繁にそうされているように、記述の隙間に対して、読者が好き好きに自己の体験を重ねあわせて愛誦することができるのだ。これは作風の違い等ではなく、一九七〇年代以降の自己像が、共有性や鏡像性の高い地点でしか成り立ちにくくなっていることによるのだろう。むろんそれゆえに近代短歌ではない栗木京子らしさがあるのは言うまでもないのだが、短歌の常態へ向かおうとして、はからずも短歌の常態が回復しない現実につきあたり、そこに一九七〇年代的な先端と典型が示されたというのが事実に近いところではないだろうか。
 話を前述につなげると、自己像の共有性や鏡像性の高い栗木の叙事的表現は、愛誦性の高い「観覧車」の一首のような作品を生み出した。ただ、それは、同時に、自己像を描くことでむしろ近代短歌が抱えていた特定の一人の抱える時間や空間を感じさせなくなってしまうという事態をも引き起こした。栗木が言葉の位相をあえてスライドさせて、隠喩的表現にも食指をのばしたことの必然というのは、このあたりに発端があるのではないかと推測される。

 #3

 栗木京子の作品は、隠喩的表現と言っても、抽象的な心象の表現になるケースは多くない。言葉ばかりが先行する表現の詩的強度を現在が十全に保証してくれないからでもあるのだろうが、「水惑星」の一首にしても、産み、海、母、等の隠喩的連想がもたらすイメージが、類型性を帯びやすいからでもあろうか。『中庭』以後、栗木が繰り返し試みているのは、構図化して言えば、叙事的表現の安定したフレームのなかに、特定の一人らしさを与える認識や思考の流れとして隠喩的表現を組みこむことだと言っていいかも知れない。たとえば「傘」というキーワードで作品を見てみよう。

  傘の先新芽のごとく空に向け春雷とほく鳴る街をゆく  『中庭』
  標的となるまでわれは華やがむ花びらいろの傘まはしあゆむ  同
  ひらきたる傘を支へて漆黒の柄(え)はぬめぬめとをみなの器官  同
  濡るることいまだ知らざる傘の花ひしめきてショーケース華やぐ  同
  傘の上を雨はななめにすべり落ち結末を知りつつも夢追ふ  同

 こうして「傘」だけを抜き出すと、日常生活的なアイテムを巧みに活かした、という、共有性や鏡像性のレベルで読まれてしまいそうだが、『中庭』という歌集単位の連作構成にはもう少ししかけがあって、「傘」が言葉としてもつ感触にプラスアルファの要素を与えようとしているようだ。

  せつなしとミスター・スリム喫(す)ふ真昼夫は働き子は学びをり  『中庭』
  女らは中庭(パティオ)につどひ風に告ぐ鳥籠のなかの情事のことなど  同
  扉(ドア)の奥にうつくしき妻ひとりづつ蔵(しま)はれて医師公舎の昼闌(た)け  同

 これら『中庭』の主たるモチーフを見せる作品とあわせて読んだとき、前述の「傘」のイメージはいささかかわる。単純に言えば、傘は、籠や奥からの「解放」を意味するわけだし、外で出逢う雨という小さな「事件」をも意味していると言えようか。倫理をやぶるような話ではないとしても、雨降りの鬱陶しさに対する嫌悪が一切示されず、これだけいきいきと、あるいはうきうきと描かれているのは、私的な叙事の表情を見せながらも、その向こうに、隠喩的表現としての「傘」の意味を重ねているからに他ならない。誰でもあり得た「観覧車」の一人称は、こうした突出した方法意識により、誰かであることへと向かう。『綺羅』を経て『万葉の月』に到る頃には、方法意識は見えにくくなっているが、栗木の本質にある言葉の位相の二重性に変化はないと思われる。

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