観覧車はいつどこで回っているのか?
*学校図書「教科研究」二〇〇五年一月号掲載
観覧車はいつどこで回っているのか?
荻原裕幸
ごくわずかの期間だったが、以前に塾の講師をしていたことがある。小学生と中学生を対象に、進学よりは補習が主な目的で、どこかしらのどかな雰囲気があり、生徒との日常会話をする機会の多い塾だった。ときどき、なかよくなった生徒の何人かが、詩を書いたので読んでほしい、と言っては作品を持って来た。ほとんどはとても素直な内容で、ところどころ同じフレーズを繰り返したリフレインの技法があった他は、エッセイを自由詩風に改行した感じの文体だった。ときには内容が日記そのものというのもあった。彼等に感想を伝えたあとで、なぜ詩を書くのか、短歌や俳句を書くことはないのか、と訊ねてみると、いつもそれぞれが口をそろえたように、詩は読んで自分にも書けそうだと思った。短歌や俳句はルールがあるからむずかしい。ことばもむずかしい。どうやったらおもしろく書けるのかよくわからない。などと言うのだった。なるほどと思いながらも、なんとなく淋しいきもちで苦笑を浮かべていた。
実は、ぼく自身も、中学生の時期には、短歌ではなく詩を書いていた。教科書に載っていたものを参考にしたり、大好きなポップスの歌詞に影響を受けたりして、あまりむずかしいことを考えなくても書けるんじゃないかと思っていた。むろん詩には詩のむずかしさがあるわけだが、どうやらその入口あたりにあるハードルは、短歌や俳句のそれよりもずいぶん低いものらしい。ぼくの場合、高校生になってから、文語にもそれなりに慣れて、もろもろの知識が少し増えたところで、寺山修司や春日井建といった現代の歌人の作品に惹かれ、とりつかれるように短歌を読み、そして書きはじめたのだが、それでも、中学生までは、短歌にあまり深い興味を持てなかった。五七五七七という定められた型があり、多くが意味を実感として掴みにくい文語で書かれ、しかも歌人の私的経歴や時代背景を知らないと発想がわかりにくいという事情は、やはり短歌の世界の入口のハードルを高くしてしまっていたのだろう。
ただ、ぼくが中学生だった頃も、後々に塾の講師をしていた頃も、教科書に掲載されていた短歌と言えば、古典か近代、新しくてもせいぜい戦後に発表された作品だった。戦後生まれの歌人の作品はもとより、昭和生まれの歌人の作品もほとんど見ることがなく、生徒がまずはじめに抱く短歌のイメージは、実際にその時代に書かれた作品に比べ、かなり古風なものだったようだ。現在の教科書を見ると、この点はずいぶん違って来ている。ハードルの高さがなくなったわけではないものの、口語をつかった作品も増えているし、何よりも現在の感覚ないしはそれにかなり近いところで発想された作品が多い。詩のように自然に書きはじめるケースは稀かも知れないが、何かきっかけがあれば、短歌を読んで楽しんだり自分で書いたりしやすい条件がととのえられたように感じる。歌人の一人として、これはとてもうれしいことだ。
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せっかく入口のハードルが低くなったようなので、短歌をむずかしいと感じさせてしまうその他の原因についても少し書いておきたい。中学生のみならず、大人になってから書きはじめる短歌のビギナー、それにまた、学校で教える側の先生たちにとっても、短歌の世界がむずかしく感じられる最大の原因となるのは、どうやら一つの作品には一つの定まった読み方があるという先入観であるらしい。短歌にはたしかに、ある程度決められた読み方というものが存在するが、作品には、自由に読んでも良い部分が必ずある。短歌は、五七五七七というわずか三十一音で構成されているために、英語で言うところの5W1Hをすべてきちんとととのえるのは困難であり、何かを強く伝えるために、必ずどこか他の部分で省略が生じるのだ。きちんと書かれた作品というのは、この省略された部分に対して、読者がある程度自由に読んでも構わない構成になっている。ところが、こうした自由に読んでもいい部分に対して、何か定まった読み方があるのではないか、と思いこんでしまうと、そのとたんに短歌の世界のハードルは高くなってしまうのだ。茶席の作法を知らない人が茶席に招かれたとき、しぐさの一つ一つにいたるまで、絶対に作法を間違えてはいけないという思いこみから、がちがちに堅くなって動けなくなってしまうのと同じことなのだと思う。
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ) 栗木京子
たとえば、この一首を読んでみると、「我」が恋愛感情を抱く相手と観覧車に乗っているときの想いを描いたものだというのはすぐにわかる。あえてそう言わずとも観覧車は回るわけなのだが、わざわざ「回れよ回れ」と強調するのは、「君」と過ごすきょう一日が、いつまでも「想ひ出」として強く心に刻みこまれるようにという願いや祈りのきもちがある、と読むのがいいと思われる。そして「君には一日我には一生」は、この二人が永く結ばれることはなく、いずれ別れるという「我」の側のいささか哀しい確信をあらわしている。ここまではたぶんそれほどむずかしく考えなくても、何度か読むうちに感じとることができるのではないかと思うのだが、どうだろうか。
短歌を読むときの問題は、ここから先にあらわれる。不思議に感じるかも知れないが、この作品で定まった読み方をした方がいいのは、ここまでなのである。あとは自由に読んでもいいのだ。自由に読むというのは、いささか抵抗があるかも知れないが、繰り返し言うと、短歌は、作品に記述された情報だけで確定的に読めない部分については自由に読んで構わない。観覧車と書いてある以上、そこが遊園地である可能性は高いが、いつのことだとは書かれていない。週末なのか平日なのかで、歌の背景の雰囲気はかなり変わることになる。天候は、晴なのか雨なのか曇なのかあるいは雪なのか。時間帯は、午前なのか午後なのか夕方なのか夜なのか。そもそも「君」と「我」は具体的にはどんな関係なのか。短歌を読むにあたってものすごく大切な部分ではあるが、しかし、これらは、自由に読んで構わないのだ。散文の表現であれば、当然これらの設定は克明に描かれているであろう。短歌にはそれをするだけの文字のスペースがない。なので、どうしても読み方を変えられては困る部分だけを仔細に描き、その他の部分は読者の鑑賞にゆだねることが多いのである。
以前、この一首が、戦地へ赴く軍人と内地に残る恋人との関係を描いたものとして鑑賞されたことがあった。「君には一日我には一生」というフレーズは、そう言われてみればたしかにそのように読める。明日をも知れぬ命のあなたにとってはただ一日の想い出になってしまうが、わたしは想い出を一生胸のうちに大切に抱えて生きてゆくのだ、という読み方である。ところが、栗木京子さんは、戦後、一九五四年生まれである。描かれた「君」が軍人であるわけはないというクレームがおのずと出たのだった。「君」が軍人だという鑑賞がなされたとき、どうやら作者の年齢がきちんと知られてなかったようで、勘違いが生じてしまったらしい。ただ、こういう読み方にも絶対に間違いだとは決めつけられないところもあるのだ。
この「観覧車」の歌は、「君」と「我」が将来結ばれることはないだろうという哀しい確信が描かれているだけで、それ以外の部分については、二人の具体的な関係を決定づけるようなことが描かれていない。つまり、そこは自由に読んでもいい部分である。もちろんたしかに戦後生まれの作者が、軍人との恋を描いたのとは考えにくいが、そう鑑賞されてしまうほどのリアリティがある。つまり、戦中も戦後もかわらずに人が持ち続ける情熱的な恋愛について描いたのだと読めばいいのではないだろうか。何か事情があって永く結ばれることのない二人の関係を、もっとも強く感じられるような読み方をするのが良質の作品鑑賞である。作品に仔細に描かれていない部分をどう読んでも、それを間違いとは言えないのだ。むしろよくできた作品ほど、時代を経ても通じるリアリティがあって、さまざまな読み方を誘発するのである。
さらに、一つの鑑賞が生まれると、そこから別の鑑賞が誘発されることもある。たとえば、観覧車に乗っているのは、やはりもの淋しい秋のゆうぐれではないか、と読まれたとする。だが、別の誰かにとって、このシーンは春のひるさがりこそふさわしいと感じられるかも知れない。互いになぜそう感じるかを考えてゆけば、季節の文化をめぐる個々のイメージを比べあうこともできるのだ。作品に描かれた情報をきちんと読み解くことと同じく、この自由な鑑賞は、短歌にとって、作品に大きな広がりを生む大切な要素なのである。この自由な鑑賞がゆるされるおもしろさは、ぼく自身が短歌にとりつかれ、以来ずっと短歌を書き続けている理由の一つでもある。
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きわめて個人的なことだが、こうして短歌の作品を丁寧に読み解き、ある部分は自由に読むことをはじめたとき、短歌のみならず、散文における表現についても、それ以前とは比べものにならないほど楽しさが増した。そこに何が書かれていて何が書かれていないかに敏感になると、小説を読んでいてもさまざまなシーンが頭に入りやすくなるし、日常語としてほとんど無意識に書いていた日記や手紙、あるいはレポートなどの強いられて書く文章にいたるまで、書いていてよろこびを見つけ出せるようになったのだった。短歌という定まった型に制約されたことばを読んだり書いたりする苦しみが、逆にことばに対するよろこびを教えてくれた。これは誰にでもあてはまることではないと思われるが、何か参考になることがあるかも知れないので書きとめておく。
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さて、ぼく自身の作品についても少し触れておくことにしたい。作者の弁というのは、しばしば自由に読めるはずの作品の世界を狭くしてしまうことがあるので、できるだけ注意深く書いてみるが、読み方としておもしろくないと感じられたら、ぜひ作者の弁は無視して、できるだけ作品の世界を広げて読んでいただきたい。あらかじめこれをお願いしておく。
おお!偉大なるセイギがそこに満ちてゐる街路なりこの日本の街路 荻原裕幸
この一首を書いたのは、湾岸戦争の勃発した年、一九九一年のことである。国家と国家との間の事情はさまざまにあるにしても、戦争というものが一切この世からなくなってくれたらいいと思っていた。けれども、不幸なことに戦争がはじまってしまった。ニュースの映像を見るにつけ、きわめてすさんだ気分になり、自分に何かできないものかと思っては、無力感にうちひしがれることになった。しかもこのとき、日本は戦争をする一方の側に対して、経済的な協力をおこなった。つまり、日本は一方の側に対して正義を認めたということになる。政治の話をここに書くつもりはないので、一連の問題の是非については言わないが、一つだけ確かだったのは、正義をまっとうしようとすることが、多くの人命を失うことにつながるという悲惨な事態である。誰一人死ぬこともなく正義がまっとうできるのであれば、これほど素晴らしいことはないと思うが、戦争という事情がそれを許してはくれない。
であれば、どうしても、声高に正義と言うのが憚られるところがあるのではないか。そんな思いから、正義というものはどこにあるのか、正義とは何なのか、正義と本当に言い切れるものがあるのか、などと自問自答を続けることになった。そのときに書いた作品が掲出の一首である。前述したように、明確に書かれていない部分については、自由に読んでいただいて構わないのだが、どうしてもこの作品で留意してほしいのは、「正義」と書かずに「セイギ」とカタカナで表記した点である。ただ「正義」と漢字で表記してあれば、それはふつうの意味を持つことばとして読めると思うが、カタカナで表記することにより、ふつうとは違う、つまり疑問を感じながら正義について考えている自分のきもちをあらわしたかったのである。蛇足的にさらに説明を加えれば、「偉大なる」という少し大袈裟なことばを冠することによって、正義に対する疑問を強調できないかと思った。さらに言えば、本来「偉大なるセイギがそこに満ちてゐる街路なりこの日本の街路」で三十一音であるのに、わざわざ「おお!」という文字を付け足して字余りの破調とし、自分のこだわりの部分がよりいっそうはっきりするように工夫をしてみた。日本に正義が満ちている、とすれば、それはいったいどのような正義なのか、どこまでも考えてみる必要があると思ったのだった。
何度も繰り返し書いているように、もちろんこの一首も、湾岸戦争に限定して読む必要はないと思う。大平洋戦争を想定してもらうのも構わない。単純にその時代の政治的メッセージを伝えるためではなく、ときに避けがたく生じてしまう戦争をきちんと考えることにつながってくれたら、という思いをこめた作品であるのだから。
そう言えば、この一首を読んだ知人から、ウルトラマンとか仮面ライダーとか何とかレンジャーとか、あんな感じのヒーローがいたるところにいるということなの? と訊かれたことがある。さすがに書くときにそれはまったく想定していない。力の抜けてしまいそうな読み方ではあったが、そういう読み方をされても構わないなとも思った。ウルトラマンは、つねに正義の味方として、人類を怪獣や異星人から守ってくれるが、社会学者の大澤真幸さんは、ウルトラマンと人類とは、日米安保条約下のアメリカと日本の関係と構造的に同じだということを指摘している(ちくま新書『戦後の思想空間』)。ヒーローがいたるところにいるという読み方からも、何か日本の社会事情のようなものが見えて来るのかも知れない。たとえどんな読み方からでも、この世界のしくみを考えるきっかけにさえなってくれれば、作者としてはとてもうれしいのである。
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