2007年9月29日(土)
上京。表参道のNHK青山荘でひらかれた松野志保さんの第二歌集『Too Young To Die』(風媒社)の批評会に発起人として出席する。参加者は約70人。盛会だった。加藤英彦さんの企画。会は二部構成。前半のディスカッションが、藤原龍一郎さんのコーディネートで、東郷雄二さん、川口晴美さん、黒瀬珂瀾さんというメンバー。後半が、東直子さんのコーディネートで、小松剛さん、広瀬大志さん、穂村弘さん、山田消児さんというメンバー。念のため註記すると、東郷さんは京都大学の言語学の先生、川口さんと広瀬さんは詩人、他はみな歌人。
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ディスカッションの印象を簡単にまとめておく。前半、東郷さんが、松野さんの表現の背景にあるBLを主とした非一般系婦女子の文化をたどりながら、作品世界の形成のプロセスを分析する。川口さんは、作中のイメージ喚起力の大きな語から、作者の志向性や世界観などをピックアップして分析を加える。二人に共通していたのは、松野さんの世界が、空間的にあるいは時間的に、現実の世界とは別の場所で完結し停止する傾向に対して、表現としてどう展開し、現実とどう結びつけたり現実に帰還したりするのか、という課題の提示だった。これはたぶん読者の多くが感じていることでもあると思う。黒瀬さんは、読者がこう誤解するだろうと推測される仮想の系譜をまず見せた上で、そのような誤解がいかにだめかという陰画的な分析をする。もっとも、黒瀬さんがあげた、塚本邦雄、春日井建、山尾悠子、栗本薫、石井辰彦、森島章人、それに黒瀬さん自身を含めた仮想の系譜からたちあがる風景は、たしかに美意識とか美学といったキーワードで粗末に括ることのできるようなものではないが、文芸としての少年愛と文化としてのBLの間を往来しつつ広がるある種の流れとして捉えることは可能だし、黒瀬さんが誤解だだめだと強く否定することで、むしろそれをユニークな系譜として明確に見せてしまっているような気もした。
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後半は、小松剛さんが、わかる人にはわかる、といった前半のディスカッションの雰囲気に異を唱えるところからはじまる。曰く、このあきらかな虚構の世界に表現としてリアリティが付与できているのか、同趣味の人たちにほんとにうけたのか、等。一方、広瀬大志さんは、前半をはるかに超えてマニアな感じの分析をはじめる。どうにも噛みあわない具合に意見が割れはじめたか、と思ったら、穂村弘さんが、きょうの自分の役目はこれだとばかりに、ふだんとはどこか違う感じのアジっぽさのまったくない論理を列ねてディスカッションを整えていた。ことばの組みあわせの意外性から生じるテンションの高さが、第一歌集『モイラの裔』と比較してあきらかに落ちているという指摘は、歌集のテーマの異色感に流されてしまうと、読者も作者も忘れがちになることだろう。山田さんは、すでに他の発言で出てきたことの繰り返しになると前置きしながらも、方法や文体や主題や素材の特徴を、作品に即したかたちでもっともわかりやすく見せていた。集中力を失って席を外して聞き漏らした分もあるが、趣味に即して書きたいことを思うがままに書こうとするときに生じる短歌形式の補助作用と反作用のしくみのようなものが、松野さんの作品の分析を通してうまく浮かびあがっていたと感じた。
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松野さんの歌集における趣味の徹底ぶりにも驚かされたが、前半後半、その徹底ぶりに徹底して応えてゆく批評の場が構成されたという事態にもまた驚かされた。今後もこうした場が構成され得るのだとしたら、現代の短歌はますます多様化してゆくことになるだろう。
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松野さんの歌集から、ぼくの好みの作品を引用しておく。
破船抱く湾のしずけさ心臓のほかに差し出すなにものもなく/松野志保
ただ一度触れた胸には母国語の刺青「ここには誰もいない」
悲しみはさらに大きな悲しみが打ち消すだろう曇天に鳩
変容を待つ繭として傷のない皮膚の上にも包帯を巻く
娶らざるものには金の嫁がざるものには銀の木犀が降る
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