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September 30, 2007

2007年9月30日(日)

昨夜、懇親会の後、二次会、三次会まで顔を出して、表参道に宿泊。就眠する頃には朝になっていた。三次会あたりでは放談と言うにもほどがあるというような展開になったが、メディアやイベントの企画のヒントになることもいろいろ聞かせてもらった。早朝も目覚めてからも東京はかなり冷えている。いまはもう正午に近いのに、雨のせいもあるのか、さほど気温はあがっていないようだ。表参道の交差点付近のKFCの二階で、ファーストフード店の雰囲気と明らかに齟齬するこじゃれた格好の女性が何人かチキンに齧りついている光景に違和感をおぼえながら、昨日の批評会についてのメモをまとめている。

午後、新宿に出て企画の打ちあわせ。東京でもう一泊する。

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September 29, 2007

2007年9月29日(土)

上京。表参道のNHK青山荘でひらかれた松野志保さんの第二歌集『Too Young To Die』(風媒社)の批評会に発起人として出席する。参加者は約70人。盛会だった。加藤英彦さんの企画。会は二部構成。前半のディスカッションが、藤原龍一郎さんのコーディネートで、東郷雄二さん、川口晴美さん、黒瀬珂瀾さんというメンバー。後半が、東直子さんのコーディネートで、小松剛さん、広瀬大志さん、穂村弘さん、山田消児さんというメンバー。念のため註記すると、東郷さんは京都大学の言語学の先生、川口さんと広瀬さんは詩人、他はみな歌人。

ディスカッションの印象を簡単にまとめておく。前半、東郷さんが、松野さんの表現の背景にあるBLを主とした非一般系婦女子の文化をたどりながら、作品世界の形成のプロセスを分析する。川口さんは、作中のイメージ喚起力の大きな語から、作者の志向性や世界観などをピックアップして分析を加える。二人に共通していたのは、松野さんの世界が、空間的にあるいは時間的に、現実の世界とは別の場所で完結し停止する傾向に対して、表現としてどう展開し、現実とどう結びつけたり現実に帰還したりするのか、という課題の提示だった。これはたぶん読者の多くが感じていることでもあると思う。黒瀬さんは、読者がこう誤解するだろうと推測される仮想の系譜をまず見せた上で、そのような誤解がいかにだめかという陰画的な分析をする。もっとも、黒瀬さんがあげた、塚本邦雄、春日井建、山尾悠子、栗本薫、石井辰彦、森島章人、それに黒瀬さん自身を含めた仮想の系譜からたちあがる風景は、たしかに美意識とか美学といったキーワードで粗末に括ることのできるようなものではないが、文芸としての少年愛と文化としてのBLの間を往来しつつ広がるある種の流れとして捉えることは可能だし、黒瀬さんが誤解だだめだと強く否定することで、むしろそれをユニークな系譜として明確に見せてしまっているような気もした。

後半は、小松剛さんが、わかる人にはわかる、といった前半のディスカッションの雰囲気に異を唱えるところからはじまる。曰く、このあきらかな虚構の世界に表現としてリアリティが付与できているのか、同趣味の人たちにほんとにうけたのか、等。一方、広瀬大志さんは、前半をはるかに超えてマニアな感じの分析をはじめる。どうにも噛みあわない具合に意見が割れはじめたか、と思ったら、穂村弘さんが、きょうの自分の役目はこれだとばかりに、ふだんとはどこか違う感じのアジっぽさのまったくない論理を列ねてディスカッションを整えていた。ことばの組みあわせの意外性から生じるテンションの高さが、第一歌集『モイラの裔』と比較してあきらかに落ちているという指摘は、歌集のテーマの異色感に流されてしまうと、読者も作者も忘れがちになることだろう。山田さんは、すでに他の発言で出てきたことの繰り返しになると前置きしながらも、方法や文体や主題や素材の特徴を、作品に即したかたちでもっともわかりやすく見せていた。集中力を失って席を外して聞き漏らした分もあるが、趣味に即して書きたいことを思うがままに書こうとするときに生じる短歌形式の補助作用と反作用のしくみのようなものが、松野さんの作品の分析を通してうまく浮かびあがっていたと感じた。

松野さんの歌集における趣味の徹底ぶりにも驚かされたが、前半後半、その徹底ぶりに徹底して応えてゆく批評の場が構成されたという事態にもまた驚かされた。今後もこうした場が構成され得るのだとしたら、現代の短歌はますます多様化してゆくことになるだろう。

松野さんの歌集から、ぼくの好みの作品を引用しておく。

 破船抱く湾のしずけさ心臓のほかに差し出すなにものもなく/松野志保
 ただ一度触れた胸には母国語の刺青「ここには誰もいない」
 悲しみはさらに大きな悲しみが打ち消すだろう曇天に鳩
 変容を待つ繭として傷のない皮膚の上にも包帯を巻く
 娶らざるものには金の嫁がざるものには銀の木犀が降る

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September 28, 2007

2007年9月28日(金)

ほぼ終日、書斎にこもる。

ブログを再開して十日が過ぎた。ある種のメディアだと思って構えると、原稿レベルの負荷がかかったりもするが、一方向的な、変則のコミュニケーションスタイルだと割り切ってしまえば、気軽に書き進めることもできる。いまの感じならばしばらく継続できるだろう。きょうの一首。

 秋の夜のブログに游ぐみづいろのひとのすずしきひとみを想ふ/荻原裕幸

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September 27, 2007

2007年9月27日(木)

午後、栄の愛知芸術文化センターへ。ねじまき句会の九月例会。急用のひとが重なって参加者は四人。さすがに匿名で進行する気になれず、票を入れたところで作者名を公開して、作者自身の意見も交えながら相互批評をした。これはこれでおもしろいなとも思ったが、やはりもう少し人数がいて作品の匿名性や批評の客観性が出た方が望ましくはあるだろう。今回の題は「級」、それに雑詠。ぼくの出詠したのは以下の二句。

 意味も知らず超弩級だと言ってみる/荻原裕幸
 くちばしを秋にあずけたまま帰る

短歌ヴァーサス第11号のサンプルが風媒社から届く。長い道程だった。短歌が吸血的で呪縛のようなものであると同時にどこまでも澄んだひかりのようなものでもあるということを、あらためて教えられた。

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September 26, 2007

2007年9月26日(水)

朝はそれなりに秋らしい感じだったが、ひざしはまだかなり暑い。午後、中京大学へ。のんびり歩いていたら、雲雀ヶ丘の交差点で山田公子さんに声をかけられた。ご近所に住んでいる東海かりんの会の支部長さんである。道々、三月に東海かりんの会が刊行した合同歌集『幣辛夷』の話をする。オープンカレッジ「俳句を楽しむ」は秋期の二回目。きょうの題は「九月」。きのうが中秋の名月だったので、月にかかわる題にしておけばよかったか。ただ、題にすると得てして、無月だったり雨月だったりするものではあるけど。講評と質問への対応。少し延長する。

きょうの一首。或るひとについての印象として。

 角の欠けた角砂糖からつまみあげ秋の紅茶にふかく沈める/荻原裕幸

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September 25, 2007

2007年9月25日(火)

中秋の名月。なので、月を見て、月見団子を食べた。こどもの頃から、テレビやマンガのなかの月見団子がなぜ丸いのか不思議でならなかった。地方によってかたちが違うからだとは気づかなかったのだ。関東では丸型、関西では里芋型なのだという。名古屋の月見団子は里芋型に入るようだが、涙滴型と言った方が近い気がする。長年そればかり見ているせいで、その他のかたちのものを月見団子と言われてもどうもピンと来ない。

短歌関連の本、上條雅通さんの第二歌集『駅頭の男』(砂子屋書房)、高島裕さんの第四歌集『薄明薄暮集』(ながらみ書房)、中川佐和子さんの第四歌集『霧笛橋』(角川書店)、栗木京子さんの散文集『名歌集探訪・時代を啓いた一冊』(ながらみ書房)などが届く。

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September 24, 2007

2007年9月24日(月)

振替休日。だというのに、講義があって出勤する。小雨がぱらつくなか、同朋大学へ。祝日や振替休日で月曜に集中する休みを調整するための措置らしい。後期半期の科目、きょうが初回になる。日常的な日本語と文芸的な日本語の差異がどこから生じるかなど、概説的な話をする。受講者は、20人から30人程度になるらしいが、まだ確定していない。

きょうの一首。或ることについての感想として。

 雨粒のあとも残らぬ秋雨に似てゐたが意外なほど濡れた/荻原裕幸

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September 23, 2007

2007年9月23日(日)

秋分の日。だというのに、昼はずっと冷房のなか。

 東海の小島の磯の白砂に
 われ泣きぬれて
 蟹とたはむる/石川啄木

歌集『一握の砂』(明治四三年/一九一〇年)の巻頭歌である。引用はルビを省略してある。この一首をめぐって気になるのは、解釈や鑑賞において、しばしば「泣きぬれて」の理由や背景が、主題だとして取り扱われることである。むろん啄木の状況をたどれば、この時期になぜ「泣きぬれて」となるのか、推察することが困難だとは思わない。ただ、この一首からは「泣きぬれて」の理由を察して欲しいという気配が感じられないのだ。「東海の小島」は、東海の君子国を少し自虐的に言いあらわした表現のようだが、地図的に俯瞰した視線で、こんなにも広い世界の、かたすみの海辺で、理由はともかくも泣きぬれて、蟹と遊んでいる「われ」の提示だと読めば、この一首の放っているニヒリズムやナルシシズムの大半は感得できるし、時代のなかへもどして読むにしても、さしあたってそれ以上にしてしまわないところに、啄木へのきちんとした入口があるようにも思う。

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September 22, 2007

2007年9月22日(土)

もうあすは秋分だというのに真夏のような暑さだった。多少気がとがめたが、アロハに綿パンにサンダルという姿で外出する。家人の所用に同伴して栄へ。たまたま通ったセントラルパークの一角で、以前勤めていた会社の同僚の似顔絵の作品展が開催されていた。本人も会場に来ていたのだが、似顔絵製作の実演で忙しそうだったので声をかけそびれた。何かを求めて出かけても何もなかったりするのだが、何も求めなくても何かにつきあたることがある。ここは、そういうタイプでそういうサイズの街なのかも知れない。戯歌風に一首。

 書を捨てよ町へ出ようと言ふひとが見てゐた町ではない町に出る/荻原裕幸

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September 21, 2007

2007年9月21日(金)

午後、栄のスカイルへ。朝日カルチャーセンター「はじめての短歌」。一月からはじめた題詠の作品指導のこの講座、月2回、八月の夏休みを挟んで、きょうで16回目。受講者は一応の定員の20人前後で微増微減している。きょうは見学者2人を含めて19人の出席。題は「雲」。準備して来てもらった詠草を板書してもらい、その場で読んでその場で講評してゆく。いつものことだが、30分ほどの延長となった。

講座では毎回、ぼく自身も題詠を受講者に見せている。きょうは次の一首。机上で大雑把に構成して、実際の九月の空を見てところどころ微調整し、講座の直前に喫茶店で推敲した。題詠を楽しむとともに、作例でありながら作品であろうとする二つの意識の齟齬を楽しみながらまとめた。

 終るものと始まるものが薄く濃く雑ざつて雲のながれる九月/荻原裕幸

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September 20, 2007

2007年9月20日(木)

夕刻を過ぎてから栄へ。加藤治郎さんに会う。待ちあわせの喫茶店に向かう途中で加藤さんからメールが入る。「いま、着きました。入口近くです。」という文面を読んで苦笑する。七月に同じ場所で会ったときは、互いに離れて死角になった席に坐ったまま二十分ほど気づかなかったのだった。きょうはすんなり顔をあわせて、もろもろの打ちあわせ。

車窓に風景のない地下鉄では、いまどこを走っているのかがわかりにくいために注意深くなるのだが、地上を走る列車に乗ると、注意力がにわかに落ちて、アナウンスも聞き落とすし、むしろどこにいるのかわからなくなったりする。いま過ぎた風景、何か見おぼえがあるなあなどとぼんやり考えていて、少し後にそこが目的地だったと気づいたときはあとのまつり、ということも珍しくはない。というようなことを考えながら帰路の地下鉄のなかでまとめた一首。

 駅名の声くぐもつてどこでもない場所をひだまりからひだまりへ/荻原裕幸

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September 19, 2007

2007年9月19日(水)

曇天。傘を持ち歩いていたが、降りそうで降らない。午後、中京大学へ。オープンカレッジ「俳句を楽しむ」の講義。秋期はきょうから開講である。十人に満たない小ぶりな講座も、これで四年目に突入した。きょうは「秋の暮」の話など。

16日の日曜、東桜歌会のメンバーで、大辻隆弘さんの第五歌集『夏空彦』(砂子屋書房)の読書会をした。大辻さんを含めた常連メンバーとひさしぶりに顔を見るメンバーとあわせて13人が参加。大掴みで抽象的にならないよう、できるかぎり個々の作品に即して議論を進めた。「私」の枠組みをどこかに残しながらも、題詠的世界へと大きくシフトした時期の歌集で、部分的に主題を前面に押し出した前歌集『デプス』よりもいきいきとした構成の歌集だと思う。

 殺戮ののちの砂漠のしづけさのやうなシーツを開くましろに/大辻隆弘
 逃げ切れるのか、からうじて見えきたる国の境のごとき週末
 雲と空のさかひがまぜこぜになつて青がよどんでゆく負けたのだ
 まづ水がたそがれてゆきまだそこでためらつてゐる夜を呼ぶそつと

 前半の二首と後半の二首。著者の「らしさ」が出ていて、かつ、作風の変化がはっきり見えるものを引いた。何もないところから一首をたちあげてゆくような苦しさを超えてゆけるかどうか。注目していたい。

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September 18, 2007

2007年9月18日(火)

連日の残暑。家ではクーラーがまったく止められない。午前、風媒社へ。土曜に届いたゲラをどうしてもきょう戻してほしいというので、出勤前に編集部の林さんに渡して見つかった誤植を伝える。午後、愛知県立大学へ。三限から五限まで講義。先週からの集中講義はきょうで終了。フランス学科と国文学科の共通科目となる特殊講義で、詩概念の概説と近現代の詩歌句や訳詩の紹介という、領域ばかりがやたらに広い鵺的なものとなった。当初は学生との対話形式での講義を考えていたのだが、蓋をあけてみると受講者が90人弱で、結局一人でどこまでも話し続けるオーソドックスな講義スタイルにせざるを得なかった。

長いブランクとなったが、とりあえずブログを再開してみることにした。

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