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December 26, 2007

JUNCTION #1

 
 
  はるびん   島なおみ
 
 
 
 紫陽花のかげに殖えゆくかまきりのむかし生物兵器はみどり

 それまでは静かな午後であつたでせうみどりがゆれる銃座のほとり

 殺戮者を王座に据ゑた画のなかを夏闌けて獅子の舌濃きみどり

 枕木も芽吹いたらうか翌年の哈爾濱駅の春あめあがり

 羊膜がアジアを包むさんぐわつの空よわたしは黄いろでゐたい
 
 
 
  *作者ブログ(Where can we go in the sand-fleet?)
   http://absolutepitch.typepad.jp/blog/

JUNCTIONは、不定期に開催するブログ内作品展です。初回は、島なおみさんの短歌「はるびん」五首です。「生物兵器」に「哈爾濱」、ずどんと重くなる主題を抱えた一連のようですが、澄んだ表情のことばたちがめざすのは、その主題とはまた別の世界なのかも知れません。脚韻風な各結句のかたちもきれいですね。どうぞお楽しみ下さい。感想等、コメント欄にいただければ幸いです。

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Tracked on December 27, 2007 at 01:02 PM

Comments

誰に向けてというわけでもなく少し。

この五首、いずれも安定した表現になっているのに、
どこかに「つかみにくい」感じをただよわせているようです。
それは「いい」とか「わるい」に直には関係ないことですが、
たぶん「わたし」の感覚や心情が表に顔を出しているのに、
「わたし」の行為に類するものが見えにくいからでしょうね。

島なおみさんのブログに掲載された「花楡」
http://absolutepitch.typepad.jp/blog/2008/01/post-e678.html
(8首と書かれていますが、10首ありますね?)
が、「同じシリーズ」だということで、読みくらべてみると、
この五首の「つかみにくさ」のようなものが
それなりにはっきり浮かびあがって来るように思いました。

短歌を読むときのこの感覚、
(もしかするとぼく個人の感覚かも知れないけど、)
「わたし」が動かないと「つかみにくい」感じが生じて、
「わたし」が動きすぎると修辞が中和されて見えるようなところ、
不思議だなあと思います。

Posted by: 荻原裕幸 | February 12, 2008 at 08:19 PM

荻原さま。

島なおみです。トラックバックありがとうございます。
短歌8首、どこからどう数えても10首ありますねーcoldsweats01

この10首は某所でも、定点観測的になってしまっていると評されました。それはたしかに歌のなかで「わたし」が動いていないからで、荻原さんの仰っていることと、たぶん通じるところがあるのだと思います。

少し「わたし」を動かしてみながら、自分の短歌のつかまれにくさを、どこらへんでよしとするか、考えてみたいと思います!

ありがとうございました。

Posted by: 島なおみ | February 13, 2008 at 08:47 AM

島なおみさん、こんにちは。
コメントありがとうございました。
ここで「わたしが動いている」と書いたのは、
他者の行為を、見る、という行為も含めてです。

この「わたしが動いている」ことについて、
「花楡」から、わかりやすそうな例で言えば、

 口笛を吹けば工事のクレーンが首を下ろしてくる夕まぐれ

口笛を吹くこととクレーンが動くこととの間に、
たぶん事実的な因果関係はないと思うのですが、
この並列が、口笛と工事の関係を
わたし、と、他者のいる世界、との関係へと
おしひろげてゆくきっかけになっていると思います。一方、

 地図を閉ぢて強く振つてもつと振ってもつともつと振つてもまざらぬ世界

これは、閉ぢる、振る、という行為は描かれていますが、
「わたしが動いている」感じがなく、
そのような行為を仮想し思い描いているという印象です。
仮に結句を「世界がまざる」として
(つまり、わたし以外の領域に影響が出る、として)
その他の部分を構成したとすると、
たとえあり得ない事態が描かれたとしても
この種の仮想感は出ないと思うのです。

わかりやすい説明にはなっていないと思いますが、
書くときの何らかの刺激にしていただければ幸いです。

Posted by: 荻原裕幸 | February 13, 2008 at 03:42 PM

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