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January 08, 2008

JUNCTION #2

 
 
  200X年   ひぐらしひなつ
 
 
 
 春の日に飽かず眺めた自らの影を断ち切るような離陸を

 葉脈を陽に透かすたび唇を尖らせた はつなつのおとうと

 音信の途絶えた夏の坂道をその先にある海を思って

 秋。木炭の欠片が筆圧のかすかな窪み冷える頁に

 焦点の定まらぬまま横たわる冬のひかりの彼方もひかり
 
 
 
  *作者サイト(Very Very WILD HEART)
   http://www2.spitz.net/hinatsu/

JUNCTIONは、不定期に開催するブログ内作品展です。今回は、ひぐらしひなつさんの短歌「200X年」五首です。たとえば2008年と明示して見えて来る時間や空間があるのと同じように、200X年と書くことによってはじめて見える世界もあるのだと思います。過去のような未来のような不思議な時間ですね。どうぞお楽しみ下さい。感想等、コメント欄にいただければ幸いです。

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» 短歌5首「200X年」 [さざめきたてるきみの抒情の]
荻原裕幸さんのブログ「ogihara.com」の「JUNCTION」に、新作5首 [Read More]

Tracked on January 09, 2008 at 09:14 PM

Comments

はじめまして。山本剛と申します。作品を読むのに不慣れですが自分なりの感想を述べていきたいと思います。壮大な誤読かもしれません。

まず、200Xというタイトルから、社会へのまなざしを感じたので、そういった視座で作品を眺めていきました。

全体としては、過去からの決別や、内省的視点から社会的視点へ(俯いた微視的視点から見上げるような巨視的視点へ)という変化とその不全感が、特に一、三、五首目から感じ取れます。

二、四首目を読み解くのに苦労しましたが、二首目は三首目の「海」との連想もあり、「はつなつのおとうと」が「唇を尖らせた」のは母体回帰のようなものかと思いました。陽に透かした葉脈は見方によっては心臓から浮き出てくる血管を象徴しているようにもとれます。さらに未熟な個人の母体回帰は、未熟な人類の自然回帰をも示唆しているようです。

四首目は音数、意味共に難解でした。
「冷えた頁」に(おそらく燃え尽きて間もない)木炭の欠片で文字を書いているイメージでしょうが、だとするとこの一首だけが俯いた視線ということになり、少し違うかなと。
そこで立ち上がったのが「秋のバーベキューの後」という場面です。そして「冷えた頁」は「頁」の象形が示すごとく「鉄板」のことで、「筆」の黒い塊が、鉄板にこびりついた木炭の欠片そのものを指しているのかと推測しました。
すなわちこの「バーベキュー後、洗浄や片付けがなされてない冷えた鉄板」という場面が、社会的な視点で見れば、宴のような盛り上がりをみせた日本(または世界)の終焉を象徴的に表しているのではないかという結論に至りました。
一句目の「。」は「マル」と読むと「アキマルモク」で六音で読みやすいですが、「秋  」のみで「二●●●」のように呼吸をおき、続いて九、五、七、七で読むと雰囲気が出る気がします。意味としてはこの句点が、日記のような「自己の客観化」を指しているととりました。

総括としては、春(飛躍への強い決意)→初夏(原点への回帰)→夏(地道な前進)→秋(道半ばでの自己確認)→冬(挫折または葛藤と、その先の希望)→春(以下同様…
というように、2000年代のサイクルを指した上で、それを切り取る手法が200Xとなるのかもしれません。

さいごに余談ですが、90年代、世紀末を描いたマンガの「200X年、世界は核の炎に包まれた」のようなナレーションがあった覚えがあります。その当時は遠い未来のように感じたものですが、もうその200X年も残りわずかで終わってしまうんですね。そんな浮遊感があります。

超ロングになってしまい申し訳ありませんでした。それでは失礼します。

Posted by: 山本剛 | April 18, 2008 at 03:11 AM

山本剛さん、はじめまして。
コメントどうもありがとうございました。

おっしゃるように、
199X年とか200X年というのは、
かつて、近未来のある年の表記として
SFやマンガやアニメでよく見かけましたが、
その年が現実にやって来て、
近未来のある年、ではない、現在のある年、
として使われているあたりにも、
この作品の入口がありそうですね。

ぼくは、この作品から、そうした
「社会へのまなざし」を意識できなかったので、
内省的な観念を通して、外界を見つめようとするときに、
どうやっても視界が明瞭になってくれず、
そこに「2008年」ではない「200X年」がたちあがる、
現在を生きる感触をそんな風にとらえていると読んでいました。
山本さんの指摘、読解、なるほどと思って読みました。

二首目と四首目が難解というのは、
たしかにその通りだと思います。

 葉脈を陽に透かすたび唇を尖らせた はつなつのおとうと

「葉脈を陽に透かすたび唇を尖らせた」という
「おとうと」のしぐさの描写から
母胎回帰まで読めるかどうかは微妙かと思いますが、
甘えのようなものを含んだ感触はたしかにありますね。
これが何につながるかをわかりづらくさせているのは
たぶん「はつなつの」という
スタイリッシュであることを意識しているように見えながら
あまりスタイリッシュにはなっていない一語だと思います。
塚本邦雄的語彙が無鑑査で入れられているような印象です。
わかりやすくすればいいというわけでもないでしょうが、
ちょっと気になるところではありました。
個性かも知れませんし瑕かも知れません。

 秋。木炭の欠片が筆圧のかすかな窪み冷える頁に

あき もく/たんのかけらが/ひつあつの/かすかなくぼみ/ひえるぺーじに
初句が一音欠け、初句から二句に語が割れて入っている、
といった具合に読むのが妥当ではないかと感じています。
一字空きではなく「。」をわざわざ入れたのは、
たぶん音数の欠落があるために
何らかの補完を意識したからではないでしょうか。
あと、この歌の場面ですが、「木炭の欠片」なので、文字ではなく、
スケッチブックに風景を写しているところのように思いました。
それならば、単純に「俯いた視線」ではなく、
他の作品との印象も大きくずれないのではないでしょうか。

精力的に読んでいただき、ありがとうございました。
見えていなかったものがいろいろ見えて来ました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

Posted by: 荻原裕幸 | April 20, 2008 at 03:41 PM

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