2008年3月17日(月)
午後、所用で近隣を歩いていると、見たところ六十代ほどの、見おぼえのない女性と目が合う。その人が背筋をぴんと伸ばして深々とお辞儀をしたので、あれ、知っている人だったかなと困惑していたら、ちょっとお訊ねしますが、と、やわらかな口調で道を訊ねられた。丁寧な人だなあと思って敬服する。
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柊は将棋の駒になるといふなるといふこと楽し花咲く/馬場あき子
第十六歌集『青椿抄』(一九九七年)に収録された一首。最初の「といふ」は、聞くところによれば、という意味で書かれているようだが、柊の用途としての駒、駒の素材としての柊は、かなりマイナーだと思う。それなのに「柊も」でも「駒にも」でもないのはなぜだろう。と考えているうちに、こどもが将来何々になると宣言するのに似た、柊の主張を示す「といふ」がうっすらと重なっているのが見えて来た。大人になったら、と言うよりは、死んだら、に近いわけだが、何かに「なる」可能性としての未来は、不安定ながらもいまを肯定する力になる。可能性でしかないからこそ、いまがより強く肯定されるのかも知れない。また、文化や歴史の文脈から掬い出したのではなく、誰かに聞いた話から書きおこした印象も、この歌の魅力の一つか。
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きょうの一首。家人に言わせるとこちらが結界をはっているときもあるらしいが、本人にはその自覚がない。むこうも同じなのかも知れない。
リビングのわづか数歩に結界ははられておぼろなる妻のかほ/荻原裕幸
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