2008年4月24日(木)
昨夜から天気が崩れて、そのまま雨が続いていたが、夕刻にはあがる。ウォーキングと買い物をかねて、外の空気を吸いに出る。雨あがりのせいか、連休前のせいか、いたるところ、とても静かな空気が流れていた。
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亡き人の湯呑と春の大空と/岩田由美
第一句集『春望』(一九九六年)に収録された一句。葬儀の後、しかしまだ日常が死者の死を受容していない忌中の風景だろう。すでに使う人がいないのに常用していた湯呑だけが残されている。単なる不在と同じ風景ではあるが、その不在はどこまでも続いて、日常の時間や空間からその人が永遠に抜けてしまったという事実がじわじわと実感される。忌中の印象からはかけはなれた「春の大空」との取り合わせが、そこから先に広がる喪失や欠落の感触を強く伝えて来るようだ。
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きょうの一首。死者が何かになるとは考えていないのだが、何かの背後に死者のすがたを感じてしまうことはよくある。笑う、と言うよりも、大きな声をあげるように咲いている、近隣の躑躅の生垣を見ながら。
けふは躑躅のすがたになつて私を叱咤してゐる伯父かも知れぬ/荻原裕幸
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Comments
こんばんは。
躑躅という字には、いつもドキリとさせられます。
薔薇という字は美しげですが…
躑躅には馴染みがないだけでしょうか…。
わが町は、もう暫くすると白躑躅が咲いて
街中また雪に覆われたようになるのですよ。
湯呑みの句ありがとうございます。
春の天色が美しければ美しいほど
悲しみが増してくるように思います。
Posted by: はんぱら | April 27, 2008 at 07:43 PM
はんぱらさん、こんにちは。
初夏の、雪のような白躑躅って素敵ですね。
躑躅という表記は、それを食べたけものが
その毒性にあたって歩けなくなった様子、
に由来するのだと聞いたことがあります。
どきりとするのは感覚的に正しいのかも。
Posted by: 荻原裕幸 | April 29, 2008 at 03:37 PM