2008年5月15日(木)
少し前の話だが、年初から1クールで放映されたアニメ「狼と香辛料」のヒロインのことば遣いが、くるわことば風で、「わっちは神と呼ばれて長いことこの土地に縛られていたがよ、神なんてほど偉いもんじゃありんせん」とか「わっちはぬしと旅がしたい。ダメかや?」など、はじめに聞いたとき、ものすごく違和感があった。それが声優の力量も作用したのか、数回で慣れて、あとから支倉凍砂の原作を文字で読んでみても、もはや何の違和感もなくなっていた。この種の違和感と慣れというのは、どんなしくみのものなんだろう。
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ぼくがはじめに惹かれた現代短歌は、寺山修司と春日井建で、はじめて読んだときには、新鮮な印象と違和感がないまぜになったような妙な感じだった。寺山の一部の作品、たとえば「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」などについては、どこか鼻につくとまで感じたものだが、いつの間にか、慣れた、と言うか、それがいいと思いはじめていた。前衛短歌的な破調に出会ったときも、現代の口語の表現に出会ったときも、これと似たプロセスがあったのを憶えている。変な味だなあと思っていたはずの飲みものや食べものに、いつかしらとりつかれる感覚ときわめて似ているのだが、同列にして考えてはまずいか。
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きょうの一首。
そこに在るはずなのにでも解らない何かの気配して夏が来る/荻原裕幸
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