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May 11, 2008

2008年5月11日(日)

母の日。今日ではなく一昨日、実家に顔を見せに行き、話をして来た。午後、家人は義母と義姉と出かける。留守番。

留守番で思い出した。読んでいた短歌の本と俳句の本に、続けてよく似た留守番の作品が出て来た。ひとつは、石川啄木の「ある日、ふと、やまひを忘れ、/牛の啼く真似をしてみぬーー/妻子の留守に。」、もうひとつは、加藤楸邨の「蟇の声にて泣いてみぬ妻の留守」である。楸邨の句は一九八〇年代のものなので、啄木の『悲しき玩具』のこの歌を知っていて書いたのだろう。家族の留守における男性の行動というのは、こんなようなものなんだろうなあと思う。以前、家人がその音を嫌うので、留守番のときにペットボトルを潰すことをここに書いたが、その他にも、家人が留守だからという理由ですることは、多くは音か声にかかわることである。

きょうの一首。音声の内容に焦点をあてると、啄木や楸邨の世界に追随するだけの歌になってしまいそうだったので、少しアングルをずらしてみた。以前に書いたこれなどとは対照的で、行為の具体が書かれていないため、つくりあげた、という感じが強く出てしまっているかも知れない。

 妻の留守といふみどりの空間に哀しい音をたててゐる午後/荻原裕幸

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May 10, 2008

2008年5月10日(土)

雨が降って少し涼しくなる。涼しい、と言うよりも、寒いような感じだ。それでも五月としては平年並みの気候らしいが、いったん暑くなってしまうと、平年並みが体感としてわからなくなる。夕刻、雨のなかを家人と外出する。食事をして、買い物を済ませて帰る。

来嶋靖生さんの『大正歌壇史私稿』(ゆまに書房)が刊行されている。結社誌「槻の木」に掲載された文章を加筆補完編集してまとめた一冊。先日から楽しみながら読み進めている。著者は「大正短歌の通史ではなく、大正歌壇の歴史でもない」と、やや謙遜気味に語っているが、大正の短歌や歌壇の輪郭が実に巧く浮き彫りにされているように感じる。同じ時期にどの歌人が何をしていたか、また、現在では「伝統」などと呼んでひとくくりにされる方法論の個々がどんな感じで展開されたのか、そんな関心をかなり満たしてくれる本だと思う。

きょうの一首。七日のきょうの一首にも使ったが、「はつなつ」は、いわゆる塚本邦雄的語彙の一つ。以前は生涯禁じようと考えたこともあったが、最近では少し考えが違って来て、塚本的な匂いの残ったまま使いこなせないかと腐心している。

 傘させば視界がずれるはつなつのこんなところに入口がある/荻原裕幸

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May 09, 2008

2008年5月9日(金)

むかし、某所で化学の講師をしていた人から、ある洗剤の成分表を見たら、ある薬品と混ぜると有毒ガスが出て危険だとわかって、メーカーに連絡して注意書きを入れてもらった、という話を聞いた。その人は、連絡したあとで、そんなことに気づく人はほとんどいないし、むしろ注意書きを入れない方が安全なのかも知れない、と少し悩んでもいた。すでに二十年以上前の話である。このところ頻発している硫化水素関連のニュースを聞きながら、そんなことを思い出していた。

第66期名人戦七番勝負の第三局。相掛かりから力戦模様に。双方ともに好手奇手が続くが、先手の森内名人がぐいぐいと優勢を拡大して、二日目のきょう、かなり早い段階で、羽生二冠の投了は時間の問題、とまで予想されていた。それが、終盤へとさしかかるあたりで、珍しく森内に緩手が出て、状況が徐々に羽生に傾く。粘りに粘る羽生に流れが転じて、終盤、森内にさらに大きなミスが出る。百年に一度とか五十年に一度とか報じられるような大逆転で森内が投了。羽生の二勝一敗となる。

きょうの一首。先日、葉桜をしばらく眺めていたときのメモをもとに。

 淋しい木とはやや違ふ木であるが他にことばもなく淋しい木/荻原裕幸

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May 08, 2008

2008年5月8日(木)

所用が重なって、どうやっても歌会は遅刻だなと思っていたのだが、電話の用件をすべて歩きながら済ませたら、なんとか予定の時刻に完了した。携帯電話って便利だなあとしみじみ思う。夕刻、栄の愛知芸術文化センターへ。東桜歌会の例会。参加者は11人。今回の題は「西」。歌会終了後、有志で居酒屋へ。やけに話がはずんで、帰宅が遅くなる。

穂村弘さんの評論集『短歌の友人』(河出書房新社)が、第19回伊藤整文学賞を評論部門で受賞した。佳い本が佳い賞に決まったと思う。慶祝。

きょうの一首。「西」の題詠として歌会に提出した一首。「関西」というのがいかにも大雑把な把握で、この歌の場合はそれ以外どうしようもないにしても、少し気にかかっていた。愛知と岐阜と三重のメンバーだけだったせいか、その点を強くは突っこまれなかった。合コンの会話を思い浮かべたという評もあった。

 関西の訛りがあるのかやはらかな草をときどき踏むやうな声/荻原裕幸

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May 07, 2008

2008年5月7日(水)

午後、中京大学へ。連休明けのせいか、キャンパスがかなりにぎやかだった。ベンチに坐っていたら、横を通り抜けようとした女子学生に大きな鞄をぶつけられる。すみません、と言うので、やせがまんして、大丈夫、と答えたのだが、鞄に何か固い機材のようなものを入れていたらしく、実はかなり痛かった。オープンカレッジ「俳句を楽しむ」、春期の四回目。きょうの題は「五月」と「葉桜」。

講座後、喫茶店で珈琲を飲みながら、きょうの題に即して二句。あいかわらず習作然とした句だが、書き記しておく。

 天地無用どこが天かと問ふ五月/荻原裕幸
 葉桜やはたと止むホチキスの音

きょうの一首。むかし、父母から、長電話ばかりして、とよく小言を言われた。どれくらい長いと長電話なのか、と訊いたら、用事が済んでも話しているのが長電話、と言われた。それなら大半は、かけた瞬間から長電話だ、と思ったのだが、立場がさらに不利になりそうだったので黙っておいた。そんなことを思い出したりしながら。

 話すでにすべて尽してなほ切れぬはつなつの長電話のみぎは/荻原裕幸

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May 06, 2008

2008年5月6日(火)

振替休日。祝日法の改正で、火曜の振替休日がはじめて生じた。来年は、この五月の火曜の振替休日の他に、九月としてははじめての国民の休日が生じるらしい。日付の動く祝日が多いせいか、祝日法の条文を読んでいると、国民の祝日に関する法律、と言うよりは、どこか、公共機関の休日についてのお知らせ、のように感じられる。

 子をなさぬつがいの棲まう新築のマンション林立する中空に/菊池裕

第一歌集『アンダーグラウンド』(二〇〇四年)に収録された一首。「子をなさぬつがい」は、ディンクスのことを言っているのだろう。自虐なのか風刺なのかが判然としないが、抑制のきいた皮肉のような、こうした語調から生じる摩擦感のようなものは、都市生活者の日常にある鬱屈とした感覚を巧く浮かびあがらせていると思う。菊池さんの文体を構成する核になっているようだ。同歌集から他にも好みの歌を。

 二十九時まで残業のあかつきの始発で帰るひとのゆくえに/菊池裕
 千代田区の路上は禁煙だと云うが今しガム吐き踏む人の過ぐ
 バリのテロには関心があるらしい香水入りのメールが届く
 放送で使っちゃいけない語彙などを反芻しながらアクセルを踏む
 モザイクをかけて音声変換をしてピー音でわたしを消して

きょうの一首。観察と想像の間にはどんな違いがあるのだろうかと考えながら。

 ためらひののち情動の新緑がにはかに枯れたやうなしぐさで/荻原裕幸

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May 05, 2008

2008年5月5日(月)

こどもの日。端午の節句。立夏。雨。行動エリアの問題なのか、飾る家が減っているのか、今年は、屋根より低くて小さな鯉幟をいくつか見かけたが、屋根より高い本格的な鯉幟はついに一度も見なかった。粽を買って来るつもりだったが、伊勢神宮のおみやげだという赤福を一箱もらったので、粽が赤福になる。菖蒲湯に入る。

先に、十代までのGWの記憶があまりはっきりしない、と書いたあと、ちょっと思い出してみたのだが、やはり些細なことしか浮かばない。少年時、粽が好きで柏餅があまり好きではなかったので、粽が売り切れる前に買いに行ってね、と母に執拗に頼んだのに、粽は売り切れだったよ、と柏餅を見せられて母と喧嘩した、とか。あと、飾る庭はなかったのだが、鯉幟だけはあって、一度見せてほしいと頼んで家のなかに広げてもらって、鯉の口からなかにもぐりこんで遊んだ、とか。そんなところ。

きょうの一首。中日ドラゴンズが、一昨日あまりにもひどい試合だったので、その印象から書きはじめたのが災いしたのか、今日もひどいことになっていた。

 口論のつづくゆふべをあざやかに敗ける野球がテレビに映る/荻原裕幸

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May 04, 2008

2008年5月4日(日)

みどりの日。暑い日だった。毎日新聞の題字は、みどりの日だけは緑色で印刷されるという。直に見てみようと思いながら、今年も忘れていた。午後、義姉と家人と三人で星ヶ丘三越へ。ふつうの休日といった感じのにぎわい。パスタを食べてお茶をして買い物をする。行き帰りに眺めた東山公園周辺の新緑がきれいだった。

 にがきにがき朝の煙草を喫うときにこころ掠める鴎の翼/寺山修司

第二歌集『血と麦』(一九六二年)に収録された一首。「鴎の翼」が発する海の匂いは、水夫への憧憬のような、どこか通俗的な感触をもっているのだが、この人の手にかかると、それが何か「かっこいい」ものに見えて来るから不思議だと思う。初句はやや情感的だが、以後がシナリオ内の演出メモみたいに乾いた文体で、その効果ということだろうか。気怠さだけがあってどこにも抜け出せないこの感じ、そこから先の見えて来ない不透明感には、懐かしさをおぼえるが、現在の感覚にそのまま通じるところもあるようだ。

きょうの一首。一日フライングをして夏の歌。

 ハムエッグも朝のあなたも夏雲も同じかたちを二度は見せない/荻原裕幸

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May 03, 2008

2008年5月3日(土)

憲法記念日。朝日新聞が憲法をめぐる世論調査の結果を載せていた。他と違ってこの調査は、新聞社毎の誤差がかなり大きい印象があるので、一社の数字だけでは何とも言えないのだが、朝日の内訳を見ると、改憲は必要だが第九条改正には反対と答えた人が30%もいることになる。少なくとも十人に三人が、第九条以外のどこかを変える必要があると考えているわけだ。あるいは現内閣への不満が強く反映されたのかも知れないが、この数字には少し驚いた。

机まわりに積みあげた本や雑誌の山が崩れる寸前だったので、どの範囲まで整理しようかと思案しながら見まわしていたとき、うっかり椅子の背を山のすみにぶつけてしまう。うわぁと叫んだが、叫んでもどうにもならず、山は大音響とともに崩壊したのだった。おかげで、思案するまでもなく、整理する範囲が確定した。

きょうの一首。本当にそうならこんな一首を書かないのではないか、と、モチーフになる感覚と記述の時差について考えたりもしながら。

 わたくしの心音以外のなにものも聴くちからなき休日にゐる/荻原裕幸

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May 02, 2008

2008年5月2日(金)

本を読んでいたら、蜃気楼のことが出て来て、少年期にその種の異空間に惹かれていたのを思い出す。何かきっかけがあれば自分がそこに行けるのではないかとも感じていた。楼閣をつくる「蜃」が巨大な蛤だと知って、その野暮ったい印象にちょっと冷めたのだが、最近ではむしろ、異空間そのものよりも、蛤を幻獣化するむかしの人の感覚に惹かれているところがある。

 恋人よ草の沖には草の鮫/小林恭二

初期句集『春歌』(一九九一年)に収録された一句。句集のあとがきによれば、二十歳から二十三歳の間の作品だという。能村登四郎の句に「火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ」があるが、小林の句では、陸に見出される「沖」が、恋愛にからんで、ことのほかみずみずしい空間として蘇生している。「草の鮫」は、性愛にまつわる何かと解釈することもできそうだが、恋を掌中にしながらなお生じる不安や疑心暗鬼のようなものだととっておきたい。「草の沖」を駈けてゆく恋人のかたわらに、幻獣の影が見えてしまうのではないだろうか。

きょうの一首。幻獣をモチーフに書きはじめたのだが、いろいろ考えている間に幻獣がどこにもいなくなって、平凡で平穏な時間だけが残ったような感じ。

 ベンチごとわたしを撫でてゐるやうな欅のかげをしばらく纏ふ/荻原裕幸

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May 01, 2008

2008年5月1日(木)

五月となる。天気は崩れたが、きょうも暑かった。北海道のどこかの町では真夏日になったという。歳時記にメーデーの項が見つからない、と思ったら、「夏」を見ていた。暦はまだ春だったか。午後、家人が外出。留守番。ためてあったテレビの録画を少し消化する。

 五月祭の汗の青年 病むわれは火のごとき孤独もちてへだたる/塚本邦雄

第二歌集『装飾楽句』(一九五六年)に収録された一首。結句の「へだたる」をどう読むべきか。迷う。メーデーに参加する労働者たちと、意図的に一線を画そうというのか、それとも、メーデーに参加できない自分の孤独を嘆いているのか。塚本邦雄の印象から言えば、どこかに「紅旗征戎は吾が事に非ず」的な、社会を斜めから見てそれ以上には踏みこまないところがあるので、前者だと考えるのが妥当なのかも知れない。ただ、第一歌集『水葬物語』(一九五一年)に見られたモダニズム風な社会風刺の世界から、第三歌集『日本人霊歌』(一九六五年)の、リアリズムの要素を含んだ社会詠的な世界への途上にあって、この一首には、社会と自分との距離をはっきりとさせられない迷いのようなものが見える。たぶん、迷っていたのだろう。

きょうの一首。塚本邦雄のことを思いながら。

 夢を出て来たはずなのにまだ夢のみどりのなかにゐて五月来る/荻原裕幸

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