2009年5月15日(金)
午後、栄のスカイルへ。朝日カルチャーセンター「はじめての短歌」。きょうは出席者17人、詠草17首。題は「長」。詠草には、時間にかかわることや待つという行為を描いたものが圧倒的に多かった。なかには、シカゴの「長い夜」を踏まえた作品もあって、仕事があがらない未明に時計の文字盤を見ている、そんなリアリズム的描写だと思っていたら、作者が、実は歌詞からの引喩であると教えてくれた。いつものように延長となる。
★
さし展(ひら)くてのひらに夜の浮力きて桃を包めばやはく息づく/柚木圭也
昨日に続き、第一歌集『心音(ノイズ)』(二〇〇八年)に収録された一首。純粋に果実の桃を描いたにしてはどこか少し大袈裟ではないかと思ううちに、なるほどそうか性愛を背景にしているのかと感じられて来た。女性の身体と桃とのメタファ的な関係はいかにも俗っぽいが、そう読んでみると、「夜の浮力きて」というフレーズの力が抜群で、愛情とも性欲ともどこか少し違う、その状況における時間の流れがもたらした必然のようなものが見えて来た。同歌集のなかでいちばん好きな歌。同歌集に収録されたのは、ほぼ一九九〇年代の作品であるという。小池光さんが栞文で「一昔前の、一青年の生の軌跡」と書いていたが、読めば、一昔前の、と言う感じはほとんどなくて、一青年の生の軌跡が、短歌という正体のわからないものとの出会いを通してかたちになってゆくそのプロセスが楽しめた。他にも好きな作品を引用しておく。
精神的素因にあらねど無花果の熟れゆくときにわが喉疼く/柚木圭也
紫陽花の毬おもたげにうなだれぬこの世の終はりといふほどでなく
顔出して流れるプールの日すがらを巡りぬ流木にあらざるわれは
すすり合ふ麺かおのれか判かぬまま満ちゆけるなり夜更けの内腑
★
きょうの一首。講座で「長」の題の作例として見せた一首。
長い電話に倦みながらみる夕雲の本音をやつと父がきりだす/荻原裕幸

Comments
初めまして、柚木圭也です。
『心音(ノィズ)』お取り上げありがとうございます。
歌集を出して沢山の方から感想を頂いたのですが、
「一青年の生の軌跡が、
短歌という正体のわからないものとの出会いを通して
かたちになってゆくそのプロセスが楽しめた」との評、
初めてでした。嬉しかったです。
荻原さんのブログ、
歌作を休んでいる頃からちょくちょく拝見させてもらっていました。
最近の記事では、3月20日の読む側の態度の有り方、にとても共感。
今後ともよろしくお願い致します。
Posted by: 柚木圭也 | May 18, 2009 at 05:10 PM
柚木圭也さん、こんにちは。
コメントありがとうございました。
ブログを読んでいただけてうれしいです。
歌集のあとがきにあった
自分の内側にのみこだわる、という
明確な意識が作品に反映されているところも
『心音(ノイズ)』を楽しめる要因かと思っています。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
Posted by: 荻原裕幸 | May 21, 2009 at 08:13 AM
追伸です。
「短歌という正体のわからないもの」と出会い、
惹かれてしまったのが86年。
(その頃の拙作は巻末に「初期歌篇」として収めてあります)
87年の荻原さんの短歌研究の「青年霊歌」を、
はるかな憬れをもって好読させて頂きました。
しかし既に、歌壇は俵万智ブーム一色に傾きつつあり、
周囲に短歌の話題を共有する友人のひとりすらなく、
歌という詩型の良さ、方向性を見失ってしまって休詠。
ようやくの再開が91年というわけです。
この間の経緯を明らかにするのは、たぶん初めてのこと。
思い起こさせてくれた、記す気にさせてくれた
荻原さんの評に感謝。ありがとうございました。
長々と失礼致しました。 柚木圭也拝
Posted by: 柚木圭也 | May 25, 2009 at 08:39 AM