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May 27, 2009

2009年5月27日(水)

きのう、中島梓さん/栗本薫さんが亡くなったという。享年五十六歳。一九七〇年代の終り、ちょうど自分が、文学って何だろう、という問いをもちはじめた頃に、中島梓の評論を読んで刺激された。そして、たぶんそれゆえに、栗本薫の仕事がうまく理解できなかった。しばしば「中島梓&栗本薫」と表記されたその「&」の意味が、彼女の仕事が進むなかでいつかはわかるだろうと思っていたのだが、ついにわからないままこの日になってしまったのが深く悔やまれる。午後、八事の中京大学へ。オープンカレッジ「俳句を楽しむ」、春期の五回目。きょうの題は「桐の花」と夏の衣類の句。9人出席で詠草20句。いつものように添削的批評を進めて、いつものように延長となった。帰宅して、きょうの題に即して二句。

 郵便のなき日はしづか桐咲きぬ/荻原裕幸
 白シャツの白ほど白き腕みせて

 思い出が残照である坂道を抱いてゆきます 腕をください/伊津野重美

第一歌集『紙ピアノ』(二〇〇五年)に収録された一首。「思い出が残照である」という修辞は、一歩間違えば安っぽい感傷に陥ってしまうモチーフを、過剰で極限的な心象へと昇華した秀抜なものだと思う。「腕をください」も同じく。この歌を、あえて俗っぽく読めば、「あなた」との関係が絶たれてしまっては、これから先の時間に何一つ希望をもてない、思い出だけが残された唯一のひかりとなるはず、だから、せめて思い出として「あなた」の腕を抱きたい、ということになりそうだが、一首のことばの力は、モチーフをそこにとどめない。愛情が極限化されたときに死の匂いが生じるように、この一首にも死の匂いがある。坂道は、これからの半生の比喩であると同時に、どこか黄泉比良坂を思わせるし、腕を抱いて「あなた」と歩きたいという願望も、それが一人歩きして、あなたの腕と歩きたい、腕の手ざわりがほしい、腕をください、と、転位し、極言すれば、ネクロフィリアに近いものが見える。少女的な感傷と鬼女的な情念とが混合された、かわいらしくかつおそろしい一首だと思う。

きょうの一首。

 生きてゐるかぎり誰かの死を聞くと枇杷のあかりの下にて思ふ/荻原裕幸

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Comments

伊津野重美さんの一首、興味深く拝読いたしました。川端康成の短編に「片腕」という一編があるのですが、そちらからのイメージの援用をしている可能性は考えられないでしょうか。ちなみに、川端の「片腕」は、幻想色豊かな、いかにも川端らしい短編です。肌合いが違うので、おそらく偶然の一致だとは思うのですが。

Posted by: 雨宮 司 | May 30, 2009 at 11:14 PM

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