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July 31, 2010

2010年7月31日(土)/郵便的苦境たち

昨今、送られて来る雑誌や書籍のほぼ半数が宅配系のメール便を利用している。郵便を利用しないのは、料金的に自然な選択なのだろう。しかも、第三種郵便物に認可されているにもかかわらずメール便を利用している雑誌があって、営業担当者の裁量での割引なんだろうなあとか思っていたのだが、ちょっと気になってサイズと重量を調べてみたところ、雑誌によっては、定価でもメール便を利用した方が安いようだ。郵便というシステムはかなりな苦境に直面しているらしい。曇りがちでぱっとしない天気が続く。ぱっとしないわりには蒸し暑いのだが。

むかしむかし、使っていた色鉛筆やクレヨンは、青と緑だけが極端に減っていた。幼年の自分にとって、お絵かき、というのは、青空を青く塗り、青葉を緑に塗ることと同義だったからだ。よく観察すると青だけ緑だけではないことがわかるよと、色彩のリアルについて教えてくれる大人がいて、へえそういうものなんだ、と思ったことはある。ただ、自分の絵は変化しなかった。たぶん目の前で見ている青空や青葉をリアルに描きたいわけではなかったからだろう。描きたかったのは、青空の青さや青葉の青さなのであって、それ以上でも以下でもなかったのである。いまは絵を描くことなどまったくないが、表現者としての自分は、どうやらその頃から何ら進歩も成長も変化もしていないようである。

きょうの一首。名古屋市中区栄の某所の印象。

 まひる真青の空を率ゐて観覧車まどかにまはる街のまんなか/荻原裕幸

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July 30, 2010

2010年7月30日(金)/尾張名古屋の地下鉄で

晴れたり曇ったり雨が降ったり。午後、地下鉄の改札に行くと、人身事故で運転を見合わせているという電光表示が流れていた。駅員さんに状況を聞いて、なんとなく復旧に時間がかかりそうな気がしたので、早々に地下鉄をあきらめてタクシーで栄のスカイルに向かう。朝日カルチャーセンター「はじめての短歌」。本来は来週の金曜に開講なのだが、イベントに出演するため、一週間繰り上げてもらった。きょうの出席者は13人。詠草14首。題は「丘」。地下鉄駅の藤が丘から一字を貰った。いつもの通り、一首ずつその場で読み解きながら、添削的な批評を進めてゆく。

備忘録的に。ブログを落としていた間、五月と六月と七月の講座で題詠の作例として見せた短歌は以下の通り。題は順に、名、別、園、星、一、本。すべて名古屋の地下鉄の駅名から一字を貰っている。日々の流れの記述なしに、ただ題詠作品を羅列するのはとても読みにくいかとも思うのだが、それもまた一興かとそのまま出してみることにした。ご笑覧あれ。

 どこか奥の方からだれかわたくしの名を呼んでゐるやうに新緑/荻原裕幸
 わたくしとは別の誰かがわたくしのなかで虹とか犬を見てゐる
 菜園にゆふかげゆれてさびしさもトマトの赤もただしく実る
 見るたびに位置すこしづつずれながら海星のやうに午睡の妻は
 八だつたゆふぐれが二のよるを経てやがて一へとあけてゆく夏
 本体はここに在るのに叫びつつわたくしが夏を駆けてゆく窓

きょうの一首。講座で「丘」の題の作例として見せた一首。

 あかるさはあかるさなりに苦しくてどこまでもみどりの夏の丘/荻原裕幸

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July 29, 2010

2010年7月29日(木)/つくつく法師はわかるよ

雨が降ったり曇ったりで少し涼しい一日となった。熊蝉が集団で元気よく鳴いていたので、熊蝉だね、と家人に言ったところ、あのじゃわじゃわっていう声? と怪訝そうに訊く。超蝉嫌いの家人にとっては、熊蝉も油蝉もまとめて蝉でしかなく、言われなければどれも同じにしか聞こえないらしい。違いがわかるのがむしろ変とでも言いたげだった。ちょっと呆れた表情をしていたら、でもつくつく法師はわかるよと自慢げに言われた。

きょうの朝日新聞の夕刊、中部版学芸欄に、隔月連載の詩歌句時評「東海の文芸」が掲載された。今回は「現代詩手帖」6月号の特集「短詩型新時代」と、先日の、文化のみち二葉館でのトークイベントの話題とを枕にして、『春日井建全歌集』(砂子屋書房)と『淺井霜崖全句集』(邑書林)をとりあげた。どちらも長年に亘る作品を収録していて、紙幅的に個々の作品に即した批評が難しいため、かなりざっくりとした紹介になったか。分量は四百字で四枚半弱。それにしても、冠に「全」が付く本というのは、読者にとって内容的には大変ありがたいわけだが、何かしら淋しさのようなものがやって来るなあとあらためて感じた。

きょうの一首。

 丸まつた紙がベンチで夕焼けてかさかさと言ふのが気にかかる/荻原裕幸

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July 28, 2010

2010年7月28日(水)/みそおでんバトルロイヤル

午後、八事の表山公民館へ。中京大学のオープンカレッジ「俳句を楽しむ」の受講生さんたちが句会を企画してくれたので、一参加者として参加した。流れで決まった会の名称は八事句会。参加者は六人。題詠「秋近し」一句と雑詠二句を提出。無記名で選をして、感想を語りあった。終了後、近隣の居酒屋でみそおでんをつつきながら話の続きをする。句会に題詠として提出したのは以下の一句。

 ガムテープ剥がす音して秋隣/荻原裕幸

備忘録的に。次回の掲載日がもう明日に迫っているが、五月二十七日付の朝日新聞の夕刊、中部版学芸欄に、隔月連載の詩歌句時評「東海の文芸」が掲載された。この回は、坂本幸子さんの第一詩集『緩く、木々の下を流れ来て』(石の詩会)と復刊/再版された加藤耕子さんの第二句集『尾張圖會』(東京四季出版)をとりあげた。加藤さんの句集は一九八七年初版。主宰誌「耕」をたちあげて間もない頃で、はじめて話をしたのもその頃だった。同誌に藤原龍一郎さんが筆名で俳句を出稿しているのだと聞いて驚かされたことなど、懐かしく思い出しながら原稿をまとめていた。分量は四百字で四枚半ほど。この回から掲載が最終木曜に変更になり、レイアウトも微妙に変更されて、担当記者も新しい人になった。

きょうの一首。

 七月の朝のひかりにパンを焼くひとゐて街はまるごとしづか/荻原裕幸

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July 27, 2010

2010年7月27日(火)/燃費のわるい車のように

すでに一週間ほど猛暑日が続いている。例年、暑くなるとやたらにお腹が空いて食事の量が増える。家人は逆に食事の量が減る。食事のたびに、どうしてそんなにたくさん食べられるのと呆れたように言われる。燃費のわるい車のようだとも言われる。午後、新栄の東生涯学習センターへ。ねじまき句会の例会。参加者六人。題詠「化」と雑詠、各一句を提出。いつものように無記名の詠草で選句して、一句一句の読解と批評を進めてゆく。句会に提出した川柳は以下の二句。

 窓のないものにしばらく化けてみる/荻原裕幸
 アメリカと滝をうっかりまちがえる

短歌や俳句のリアリズムは、単純に言えば、そのときそこでという時間と空間の特定の一点を求めてことばが構成される。いつでもどこでもという遍在的な感覚を好まないと言い換えてもいい。非リアリズムでは逆に遍在的な感覚を求めてことばが構成されるわけだが、いつでもどこでもという意味での遍在性は嫌われがちである。求められているのは、いつかどこかでという可能性のレベルでの遍在性であって、それがリアリズムの求めるそのときそこでに匹敵する強度で読者のなかに再構成されるのを求めていると言えようか。一部の時事川柳やサラ川など、あるある系の川柳が、ともすれば文芸の埒外とされるのは、たぶんこの、いつでもどこでもを求めるからだと思われるのだが、詩性川柳なり何なりが、あるある系の川柳に対峙しようとするとき、いつでもどこでもを捨ててしまうとしたら、結局のところ川柳の川柳性も一緒に捨ててしまうことになるのではないだろうか。このあたりに、文芸としての川柳、のジレンマがあるように思う。

きょうの一首。

 のぼる脚はさまざまなれど梅雨のあとどの階段も空へと続く/荻原裕幸

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July 26, 2010

2010年7月26日(月)/冷めない麦茶

デジパチのモチーフにさまざまなアニメが使用されているのを、テレビCMやパチンコ店のポップでよく見かける。タイアップ企画だというのはわかるが、ちょっとマニア過ぎないかと不思議に思うものもあって(たとえば数年前にタイアップした「創聖のアクエリオン」などはあり得ない選択に見えた)、パチプロの友人に訊いてみたところ、大当たりもしくはそれに類する状態で何かを見たり聞いたりすると、強烈に刷りこまれて、仮に本篇の内容を知らなくても、主題曲のCDが欲しくなったりするのだそうだ。ちょっと怖いような気もする。暑い日が続く。ひるさがりに沸かした麦茶を日が暮れてから飲んでも熱いのに驚く。

明日火曜、ねじまき句会の例会がある。ブログを落としていた間のことをちょっと備忘録的に。四月は予定されていた吟行会が事情で中止に。五月は普通に出席。六月は都合で欠席した。五月の例会は二十五日午後、新栄の東生涯学習センターにて。題詠は「体」、それに雑詠。参加者は、新しいメンバー一人を加えて六人。提出した川柳は以下の二句。どことなく川柳を書くことに慣れて来たような書き方をしていた気がする。無理に変化しようとしても碌なことにはならないだろうが、舳先を徐々に知らない海へと向ける必要はあるか。

 体から出てくる船のようなもの/荻原裕幸
 ぎざぎざに触ると声がしなくなる

きょうの一首。

 黒い日傘のなかからふいに旧姓をうちあけられてかるく驚く/荻原裕幸

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July 25, 2010

2010年7月25日(日)/猛暑日フルハウス

ネットの重さは、プロバイダのサポート窓口に電話を入れて、周辺機器をリセットしたりしながらあれこれ操作をするうちに、不具合だとは感じないレベルになった。担当者に理由を推測してもらうと、わりあてたIPアドレスをパソコンがうまく認識できなかったからではないかと言う。荻原家の機器の問題ともプロバイダ側の回線の問題ともとれる、実に微妙な言い回しである。きょうも暑い。名古屋の週間の天気予報を見ると、最高気温に三十五度前後の数字がずらっと並んでいて、見ただけでげんなりした。

石川美南さんと橋目侑季さんのウェブサイト「山羊の木」の期間限定企画「ゴニン デ イッシュ」の最終回に参加させてもらった。短歌一首をめぐって五人が鑑賞文を書く、それを同時に掲載する、というとてもわかりやすい企画だ。今回の五人は、宇都宮敦さん、岡本雅哉さん、加藤治郎さん、松村正直さん、そして荻原裕幸。石川さん、誘ってくれてありがとう。最終回の素材の一首は穂村弘さんの作品だった。鑑賞をするふりをして、最近の穂村弘について思うところを述べよ、という石川さんのお茶目な挑発なのだろうと勝手に判断して、素直にそれに応えてみた。この一首は解釈するまでもなく、みたいな流れで書いてしまっているのは、そんな理由からではあるのだが、あまり読みやすいものではなかったかなと反省している。

きょうの一首。

 蛇口ならんで二三が上を向いてゐて蝉のほか何の声もしなくて/荻原裕幸

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July 24, 2010

2010年7月24日(土)/ロストされないパラダイス

ネットが重い。つながらないわけではないのに重い。懐かしく感じるほど重い。荻原家の機器のせいなのか回線の問題なのかわからないので、ともかくしばらく様子を見るしかない。あちらこちらのサイトに繋いで試しているうちに、第17回大山康晴賞を団体の分野で雑誌「詰将棋パラダイス」が受賞したという一報を見る。二代前の編集部が南区の呼続にあって、十代の頃に友人とよく遊びに行ったことを思い出す。将棋を愛好する小林恭二さんの『短歌パラダイス』のタイトルには、当然この詰パラのイメージが重なっているに違いないと思うが、確かめたことはない。

午後、東区の文化のみち二葉館へ。春日井建や「歌人集団・中の会」の時代をテーマにした展示イベントが開催されていて、関連のトークイベントに出演した。出演者は大塚寅彦さん(司会)、大辻隆弘さん、斎藤すみ子さん、荻原裕幸の四人。思い出の花を咲かせながら短歌の一九八〇年代を振り返るといった展開で約二時間、それなりに時代の状況を再認識しながら話をした。洋館的な大広間が会場で、60席しか座席が準備できなかったのだが、聴衆の実数は130人を超えていたそうだ。階段にも床にも人がびっしり並んで、往年の「中の会」の研究会の様子を髣髴させるような盛況だった。昔話だけにならないようにと気は遣ったつもりだが、聴衆側にそれなりの収穫はあっただろうか。

きょうの一首。

 爪を切つてカレーを食べて漱石を少しひらいて少しはかなむ/荻原裕幸

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July 23, 2010

2010年7月23日(金)/バターナイフが見つからない

大暑。いやあ名古屋は暑いよ、と自棄的に自慢したくなるほど暑い。日中、外を歩いていて、自分が融けはじめないことがちょっと不思議に感じられるほど暑い。神様そこにいるなら何とかして下さい、と思うほど暑い。数日前からバターナイフがどうしても見つからない。荻原家にはバターナイフが一本しかないので、とりあえずスプーンで代用しているものの、どうしようもなく使い勝手が悪い。そんな風に存在を主張されるほどぞんざいな扱いをして来たのかとか、反省のこころをもって探してみたのだが、あいかわらずバターナイフは見つからない。

告知が遅くなってしまったが、文芸誌「イリプス」第五号が刊行されている。この号には「あらゆる場所でわたしがひびく」と題して、短歌五十首を出稿した。二〇〇九年の立夏から立冬までの「きょうの一首」を編集構成したもので、夏の章には「梅雨青闇調」、秋の章には「江戸秋雲調」と、それぞれ小題を付した。ベストコンディションで書いた作品を厳選した、という自覚があって、印刷物が仕上がるのが楽しみだったのだが、いざ仕上がってみると、それほどのものなのかどうなのかがすでに自分では判断できなくなっていた。まあ自作とはそういうものか。

きょうの一首。

 あなたの夏とわたしの夏は冷房があるからいまは繋がつてゐる/荻原裕幸

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July 22, 2010

2010年7月22日(木)/今夜も寝苦しくなるでしょう

猛暑日。名古屋は三十八度まであがったらしい。ラジオの気象情報で、体温並みとか体温を超える気温とかいう比喩が使われていた。三十五度を超えると、そういう細かい差はどうでもいい感じになる。パーソナリティの女性はさらに、とても爽やかな声で、今夜も寝苦しくなるでしょう、と言っていた。嫌そうな声で言われるのも寝苦しさが増しそうだが、あまり爽やかな声なのもどうかと思う。夕刻、桜山の美容室で髪をカットしてもらう。美容師さんが屋久島に行って来たそうで、屋久杉までのトレッキングの話などを聞きながら。

先日、石原ユキオさんからのメールで、ウェブマガジン「週刊俳句」の四こままんがに荻原裕幸の短歌を登場させた旨の連絡があった。ねたにしづらそうな一首を巧くまとめるものだなあと感心して読む。石原さんありがとう。スタイル的にはコラボレーションに近いが、短歌が先にあるわけなので、作品鑑賞の一種ということになるだろうか。件の一首、出典が併記されていないようなので記しておくと、総合誌「短歌研究」6月号に特別作品として掲載された「春陰昭和調」二十首のなかの一首。某ラノベ/アニメをイメージしながら書いたものなので、稲荷神社だったのが作者的には吉だった。

きょうの一首。

 雲を見たり汗をかいたり夏の日は夏の日以外の何でもなくて/荻原裕幸

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July 21, 2010

2010年7月21日(水)/断水工事は突然に

早朝、不燃ごみの袋を抱えて外に出ると、マンションの隣りの棟のベランダで、小学生だと思われる女子が、朝顔だと思われるプランターに如雨露で水を撒いている姿が見えた。そうか夏休みかと感じた瞬間に、何か鼻の奥につんとしたものが来る。いつからのことだったか忘れたが、少年期から二十代あたりまでの記憶の琴線に触れるものがあると、あきらかに過剰に反応するようになった。四十代の過渡的な現象なのか、この先ずっと続くことなのか、どうなんだろう。

午前九時を過ぎた頃、洗面所のあたりでかなり異常な水音がした。え? と思ってから、あっ、と思う。思いあたるところがあって、少し前に来ていた水道工事の案内をよくよく読み直してみると、終日断水になるらしい。一読したところでは数分の断水があるだけのように理解できてのんびりしていた。どうやら誤読だったようで、何も準備のできていないまま断水を迎えることになった。仮想サバイバルみたいな状態になったので、しかたなく夜まで外で過ごすことに。午後、中京大学のオープンカレッジ「俳句を楽しむ」の春期の最終回。この春期の講座のはじまった頃からブログを更新してないわけだが、間を丁寧に埋めてゆくのも大変そうなので、再スタートということにしようかと思う。

きょうの一首。結句の「経る」の使い方が面白いような気がしていたのだが、一首にまとめてみるとどうと言うこともない感じか。

 二人からだの水の比率をすこしづつすりへらしつつ七月を経る/荻原裕幸

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