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January 06, 2011

文語濃度をめぐって

私が短歌を書きはじめたとき、短歌は基本的に文語で書くものだと考えていた。一九七〇年代、十代のときのことである。短歌にのめりこむきっかけとなった寺山修司と春日井建、もっとも大きな影響をうけた塚本邦雄、ちょっとした反撥を感じつつ読まずには過ごせなかった岡井隆らが、どこか口語的な表現を含みながらも、ほとんど例外なく文語をベースに短歌を書いていたからだ。ところが、実際に文語で短歌を書きはじめてみると、ところどころ、とりわけ動詞と助動詞において、古めかしくてとても使えないと感じるものがあらわれて来た。何を古めかしいと感じるかは、たぶんそれまでの私的な生活環境や読書体験によるものだと思われるが、たとえば、動詞の駈ける、が、駈く、駈くる、であったり、べし、が、べけれ、と活用されるのは、他者の作品にあらわれてもさほど気にならなかったのに、私の作品にそれを使うことには大きな抵抗感が生じた。そして、短歌のかたちで何かを書くという感覚を身につけるなかで、一部を少し現代語風にアレンジして、私なりに思考や感情をクリアに表現できるスタイルを模索することになった。短歌のかたちが身についたのがいつだとは明確にできないが、このあたりのプロセスで、私の短歌における、文語濃度、とでも呼ぶべきもの、古語としての文語をどの程度まで使うか使えるかという私なりの水準あるいは限界、がいったん決まったのではないかと思う。

一九八〇年代の半ば、口語の表現が現代短歌に浸透しはじめた。そのはじまりがどこにあってどのように浸透していったのか、いまではもう詳らかにできないが、新しい表現に関心をもつ歌人は、誰もが例外なく一度は口語の表現を試している、と言ってもさして大袈裟ではないだろう。私自身もおっかなびっくり試しはじめた。

 まだ何もしてゐないのに時代といふ牙が優しくわれ噛み殺す/荻原裕幸

第一歌集『青年霊歌』(一九八七年)に収録した作品である。以前どこかに書いたような気がするが、「まだ何もしてゐないのに」という、たかだかこの程度の現代語の感触のフレーズを書くのに、かなりの勇気が必要だった。現在の感覚からすれば、この勇気は滑稽なものだ。滑稽さがどこから来るのかと言えば、それはたぶん、歌人の個々の文語濃度の平均が薄まっていて、この程度のフレーズが用いられることに対する抵抗感が見えづらいからだろう。しかし、私的な文語濃度とのギャップのなかで口語のフレーズを使うというのは、当時も現在も、私には重要なことであって、仮に口語が百パーセントを占める状態であっても、口語を用いる部分は、私なりに思考や感情をダイレクトに表現できる、直接話法のようなレトリックとして意識している。興味のある人はそういう目で見てもらうとわかるかも知れないが、第四歌集『世紀末くん!』(一九九四年)では皆無だった文語表現が、第五歌集『永遠青天症』(二〇〇一年)で復活しているのは、私的な文語濃度を自然に露呈しただけのものだ。いまでも無意識的に短歌をまとめると、思い浮かぶフレーズの多くは文語で、初期に構築したスタイルの余波と言うか呪縛の深さというものを思い知らされる。

現代短歌の口語表現が話題になってゆくなかで、口語表現を含んでいても、私の作品が、口語表現として、新しい、と言われることはほとんどなかった。俵万智や加藤治郎や穂村弘と、私のそれとでは、同じ口語表現でも何かが違うと、どちらかと言えば批判のニュアンスに傾く口調で、仲間たちから繰り返し指摘されていた。そうした指摘に何か解せないものを感じる日々もあったが、考えてみれば、レトリックとして口語表現を意識しているというのは、たしかにいかにもクラシカルで、文語濃度のぐんと薄まった位置から書いている俵万智や穂村弘、文語濃度を意識的にスライドする姿勢から書いている加藤治郎の口語表現のもたらす新鮮さに、新しさとして拮抗するのは、およそ無理なことだったのだろう。クラシカル上等とか思いながら、嬉々として口語表現を楽しむようになったのはこの数年のことで、口語の導入などという話もいつしか昔話になってしまっている。いまや、口語が短歌にすっかり浸透して、文語濃度がほぼゼロという歌人も珍しくなくなっているようだし、どちらかと言えば、いかにしてふるきよき文語表現を成立させるかという問題の方が深刻になりつつあるようだ。

昨年末、と言うか、先日、田中槐さんのブログ「槐の塊魂」に、ガルマン歌会に参加した折、あえて旧仮名遣いで文語の詠草を出したら得票がゼロだった、きもちわるいとまで言われた、というエピソードが出ていた。田中さんはこの話を「たしかに、あの歌たちのなかでは出色の古めかしさだった。まだまだ修行よのう」と結んでいるのだが、それが「修行」の問題、つまり、努力によって将来的な解決が見込める問題なのかどうかが、文語濃度のことを考えていた私には気にかかった。口語の表現が主流になっている歌会で、あえて文語の表現の可能性を問うという姿勢には、ふるきよき文語表現を口語世代に知らしめたいといった意識があきらかに感じられる。これには私も共感する。しかしそれを自身の作品を通して問うのは、微妙な歪みをはらんでしまうのではないかとも感じる。田中さんには田中さんが短歌とともに身につけた文語濃度があるはずだが、「あえて旧かな文語の歌を出したら」の「あえて」は、私のスタンダードではないという意味だろうから、つまりは、個人の文語濃度をはっきりと超えた位置で文語的な表現をしようとしているのではないだろうか。文語表現の見直しというのは、もう二十年余り続いていることだし、口語表現のためにも文語表現のためにも繰り返されるべきことではある。だが、短歌のかたちを身につけたとき身についてしまった個人の文語濃度は、それを現在の生きたことばの方へとスライドさせること薄めることはできても、濃くすることができるだろうか。作家が伝統回帰をすることはあっても、それは初学の位置にまで遡るだけのことである。文語濃度はその人の水準であると同時に限界でもあると思う。

 旅なんて死んでからでも行けるなり鯖街道に赤い月出る/吉川宏志

第三歌集『海雨』(二〇〇五年)に収録された一首である。口語の表現があらわに見えているにもかかわらず、個人の文語濃度をあきらかに文語の方に向かって超えた位置でことばを繰り出しているように見える。以前にもこのブログに少し書いたことがあるが、三句目の「なり」がそう感じさせるのだろう。その違和感が一首の不思議な魅力になり得ているのはわかるものの、どこか無理なことば遣いではある。反復可能な文体ではなく、一回性の試行だと言えようか。はっきりしているのは、この歌の魅力と所謂文語表現の魅力とは別のものだということである。

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Comments

いい文章です。

私の同時代的な実感とも
どんぴしゃ、
合致している感じがしました。

荻原さんが、
こんな素直に自分の来歴を
書いた文章、

私としては初めて見た感じがします。

こういう文章は、
やっぱり、30年近く
歩いてきた人間しか、書けませんね。

感動しました。

Posted by: おおつじです。 | January 06, 2011 at 11:05 PM

>おおつじさん

コメントどうもありがとうございました。
素直というほどの意識はなかったのですが、
ロジックが多少甘くなっても、
経験して来たことを伝えてゆきたい、
そんな風に思いながらまとめてみました。
書いたことがダイレクトに伝わってよかったです。
現代短歌がここまで混迷している以上、
何を共有していて何が共有できていないのか、
きちんと見きわめながら少しずつ考察を進めたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

Posted by: 荻原裕幸 | January 07, 2011 at 05:55 PM

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