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January 22, 2011

夜明けのコーヒー

寒い日が続く。大寒なので、当然と言えば当然なのだが、やはり寒い。愛知県と名古屋市で、首長の選挙が近づいている。テレビに映る候補者を、誰に票を入れようかではなくて誰が多く票を得るかを考えながら眺めている自分に気づいて苦笑した。長文のエントリが続いているので、少し短めにまとめてみる。

一月の朝日カルチャーセンターの講座「はじめての短歌」は、七日と二十一日に開講された。七日の出席者は見学者1人を含む14人。受講者からのリクエストで、この日は、現代短歌についてあれこれと話をした。このブログにまとめた歌論的な文章とも内容の重なるものだが、直接的に参考にしてもらおうと、できるかぎり作品を書くためのハウツーに結びつけて話してみた。カルチャー教室のハウツー系の講座として受講する人にとっては、関心がないわけではないにせよ、現代短歌の状況がどうだこうだという情報よりも、自作の五七五七七をいかに磨きあげるかという技術的な情報の方が、やはり圧倒的に価値が高いようである。短歌総合誌の記事がハウツー系に偏りがちなのも、そうした事情を背景にしてのことかと思われる。

二十一日の出席者は14人。詠草14首。題は「知」。愛知県から一字を貰った。受講者の詠草のなかに、夜明けのコーヒーを一人で云々というフレーズがあって、非体験的なことをあまり書かない作者だったので、夜更けならともかくも夜明けは凄いですねと感想を述べてみると、実際のクラス会のときのことだと説明してくれて、夜明けのコーヒーは、先生は知らないかも知れないけど、と前置きしながら、むかしの歌謡曲で、ピンキーとキラーズの「恋の季節」に由来するものだと言う。ああそうでしたか、「恋の季節」は、一応知ってますよ、当時たしか五歳かそこらでした(調べてみると実際には七歳になる頃)、と言うと、年齢差に反応したようで、教室に苦笑が広がった。この日、講座で題詠の作例として見せたのは以下の一首。

 私の知らない顔がまだある妻と雪と雪に埋もれる山茶花を見る/荻原裕幸

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