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January 02, 2011

正月の薔薇、歌壇の時代

年の瀬、正月の話をしているとき、玄関に飾る花を薔薇にしてもいい? と家人が訊いた。薔薇? うん、薔薇の花。ちょっと考えて、同意した。ふつうに正月らしい花を飾るのが私の好みなのだが、意表を突かれたためか、新年に薔薇の花を飾るのが何かとても楽しいことのように思われて来た。そんなわけで、二〇一一年の正月、荻原家の玄関では、色とりどりの、十数輪の薔薇が咲いている。あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

世紀があらたまって十年が過ぎた。しかし、前世紀、一九九五年あたりから、短歌の時間は先に進まなくなっているように見える。盛んに書かれかつ読まれながらも、何か肝心なものが薄らいでしまった印象があるのだ。うまく言えないが、短歌には不可視の法則があり、不可知の秘密があり、よくわからないながらもそれにアプローチすることで、生きることをめぐる確かな触感が得られるような、ジャンルとしての厳然とした存在感が薄らいでいるのではないだろうか。歌人が何をしようと、揺るぎないものとしてそこにあったかつての短歌の姿は、もはやどこにも見られない。

一九九五年以降の短歌について、私はこれまでその多くを「場」の問題として捉えて語って来た。過剰なまでに多様化した現在の短歌の様相を、一つのキーワードで括るとすればそれ以外にはないと考えていたからだ。この時期に表面化した事象のいくつかをあらためて列記してみよう。まずは、題詠の時代。必然的なテーマではなく任意の題材のレベルで何かを共有するのがスタンダードになったこと。ネット短歌。この呼称が出て来たことで、結社に所属して短歌を書く行為の意味も再認識されて、活動するメディアの種類によって何らかの共有がなされているとみなされたこと。後の若い世代による同人誌の創刊のブームにも影響したようだ。さらには、アンソロジーや短歌辞典の相次ぐ刊行。続いて生じた短歌史再考や歌人論歌人伝の盛況。つまり、短歌がどこからやって来てどこにいるのかという自己規定や自己確認が繰り返し起きたこと。また、短歌朗読の活況。これは、作者の声が、聴くために集まる者の鼓膜を直にふるわすという、物理的な直接性のイメージとしてあったように思う。個々の事象は個々の理由があって生じたのだろうが、共通するのは、積極的に短歌の「場」を構築しようとする姿勢である。この十数年間に見られたのは、短歌のあるべき「場」をどう構築してゆくか、が、短歌が作品としてどうあるべきか、にやや先行して展開されてゆく風景だったと言ってもいいだろう。広義に、短歌を書く人たちの社会の意味で歌壇ということばを用いれば、歌論よりも歌壇が短歌の中心にあったわけだ。その是非はともかくも、短歌の現在は、歌壇の時代なのである。

むろん、歌壇の時代だろうが何だろうが、短歌が作品としてどうあるべきかは、つねに歌人の鼻先にある問題である。また、短歌が、混迷をともなう現在の状況に到ったもっとも大きな原因が、一九八〇年代から一九九〇年代にかけての、ライトヴァースやニューウェーブといった現象あるいは方法を、当事者たちも批判者たちも、歌論的にすっきり消化できていないことにあるのは、多くの人の目にあきらかなことではないだろうか。何を考えてゆくべきかは、はっきりしているのだ。このブログで、また機会があれば他のメディアで、今年は少し、踏みこんで考えてみたい。更新のサイクルは不定期になるだろうし、これまでのように気ままな内容のエントリも続ける予定である。また、記事をめぐるコメントがあれば、今年はできるだけレスポンスさせてもらおうと思っている。以上、とりあえず、新年の挨拶がわりに。

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