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January 25, 2011

句会をめぐるエゴ分析

歌会や句会の前日、家人に、明日は会があるから、と伝えると、何の会? と訊かれる。何々々会、と答えると、えと、誰々さんが来る会? と言うので、違う、それは何々々会で、明日あるのは何々々会、と訂正する。少し考えて、わかった、誰々さんが来る会だね、と言ってやっと正解に到る。そんなやりとり(ここで伏字にしてあるところにはもちろん固有名詞が入る)がよくある。ほんとにわかっているかどうかはわからないが、家人がそうした会をジャンルではなく人で識別しているのが、私にはちょっと面白い。

私は現在、川柳と俳句の句会にそれぞれ定期的に参加している。歌人なのになぜと問われると、これは個人史にかかわる問題であり、まったくのエゴの問題だとしか答えようがない。短歌とはまったく別に、川柳と俳句をものにしたいという欲望があるのだ。いま私は「短詩型の文芸」というような、ジャンルを曖昧に踏み越えてゆく括りを信じる気になれない。言い換えると、歌人であることが、やや特権的に、ジャンルの境界を越えて、川柳や俳句の何たるかに触れさせてくれるとは思えないのだ。さらにはっきり言えば、歌人であるという自負は、川柳や俳句を書いたり考えたりする邪魔になりがちだとさえ感じている。こうしてブログを書いているときにも、私はどこまでも歌人だと自覚しているが、句会に行くときの私は、川柳作家の卵であり、俳人の卵なのである。少なくとも現在はそういう心構えで参加している。

一月十六日、雪の日曜、ねじまき句会の例会があった。午後、浄心の西生涯学習センターへ。出席者は、新しいメンバーを含めて七人。ただ、一人は雪の事情で到着が遅れて、ディスカッションにほとんど参加できなかった。残念。今回は題詠「門」と雑詠の各一句を提出。今年は門構えの漢字から題を決めることになっている。いつものように無記名の詠草で選句して、一句一句の読解と批評を進める。当日、私が句会に提出した川柳は以下の二句。欠席者を含めて十人が題詠と雑詠からそれぞれ四句を選んだ結果、題詠は五票、雑詠は八票を得た。

 門から玄関までの間に消える人/荻原裕幸
 雲を掴むのにも軍手をはめている

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