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March 25, 2011

三月十一日をめぐる私記

十一日、午後、いつもながらの遅い昼食を終えて、リビングでぼんやりとミヤネ屋を見ていたとき、地震速報のテロップが流れた。そこに東北の地名を見た直後、画面のなかでは、中継場所だった都庁や東京のスタジオが揺れて騒然となった。すぐにテレビのこちら側の名古屋もゆっくり大きく揺れはじめた。震度3か4か、ちょっと長いなと感じたのと、大阪もいま相当揺れてますよとテレビから声がしたのが同時だったろうか。どんな規模なんだよと思う。以来、テレビのなかは震災一色となり、地震と津波と原発事故の映像を見る日々が続いた。それらの科学的なメカニズムの解説も繰り返し聞いた。震災報道の合間にはACジャパンのCMばかりが流れて、CMそのものが訴える内容以上に、スポンサー企業がこぞって宣伝を自粛しているという状況がひしひしと伝わって来た。

被災地から遠く離れた名古屋では、静かな時間が流れ続けているように見えた。震災から二日後に名古屋市議選の投票があって、前回を上回る投票率だったという。河村たかし市長を代表とする減税日本が議会の第一党となった。民主党は惨敗した。深夜に少しだけ流れたニュースが淡々とそれを伝えていた。ネットでニュースの一覧を見ると、震災のニュースのなかにぽつんと一つこの記事があって、大切なことのはずなのに、何か場違いな印象をもたらしていた。買い物に行くと、大手のスーパーの棚がところどころがらんとしていた。不安が人を買いだめに走らせているのだろうか。私はできるかぎりふだんと同じ内容の買い物をした。買い物にかぎらず、万事ふだん通りにふるまおうとしてみたが、ふだん通りにふるまうというのは、そう意識すればするほど困難なことだと思った。

巷では開催をとりやめるイベントが相次いだようだ。その要因には、不可能も自粛も萎縮もあったと推察される。この時期に私が講演したとある研究会でも、前日に主催側の一人から電話が入って、原発事故の状況が悪化して動揺している様子と、このような状況のなかでそのまま開催していいものかどうかという迷いとがあきらかに感じられた。自粛すべきことは自粛すべきにせよ、萎縮することはあまり望ましくはないのではないか。そんなことを考えながら、講演の資料をまとめていた。ふだん通りにふるまうことができない日常が続くなかで、短歌その他の表現に向かっているときの私は、たぶんほぼふだん通りだったのではないかと思う。理由はよくわからない。日常はふだん日常的であるが、表現はふだんから日常と非日常が混在した場所だということが影響したのだろうか。

いつかは人が地震のメカニズムを完全に掌握する日もあるのだろう。ただ、現在のところ、地震は、私たちの科学や知識の外側からやって来る。外側からやって来るということは、それが偶然だということである。ふだんはやり過ごせても、ここまで強烈にやって来た偶然は、私が認識している世界のなかに私がいるという安定した感じを奪う。震災に直撃されたわけではないのに、二次的な被害にさらされているわけでもないのに、それでも不安定な気分が生じるのは、多くはたぶんそうしたことに由来するのではないかと思われる。少なくとも私の場合はそうだ。偶然にさらされ続けるということは、生きているということと同義だが、私は非常な事態のなかにいることをふだんは忘れている。私が感じている日常とは、実は、私を安定させるための一つの虚構なのかも知れない。

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