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March 31, 2011

寓意のパラダイス

午後、小雨が降る。すぐに晴れる。ベランダから近隣を見渡すと、雨粒が残っていたようで、陽ざしがそこかしこで反射してやけに眩しく感じられた。うららかな風景を見ていてにわかに外に出たくなる。用事のついでに瑞穂区役所まで歩いた。山崎川の周辺ではそろそろ桜が咲きはじめている。やっとあたたかくなるのか。この数日、被災地を発行所とする歌誌や句誌が届いている。震災のために発行を迷ったとか、発行は無理ではないかと思ったとか、添えられた編集者のコメントが、煙のように目にしみた。テレビは震災一色というわけでもなくなって来たが、被災地のその後と福島の原発事故の状況を見守る日々が続いている。原発事故の報道は曖昧をきわめて、名古屋のスーパーとコンビニの棚には、商品の微妙な品薄が広がっている。

川柳を継続的に書きはじめてから七年になる。断続的に習作をしていた時期をあわせると十年を超える。現代の川柳について言及しはじめてからは二十年になった。その間、私の川柳観はかなり大きく揺れた。現在思うのは、川柳とは、定型詩において寓意(アレゴリー)が唯一自由にふるまえる場である、ということだ。短歌や俳句にもむろん寓意的表現はある。ただ、それぞれのジャンルの歴史的事情は、寓意を決してジャンルの中心に位置させない。寓意は、川柳においてだけ、のびのびとふるまっているように見える。これを、川柳が諷刺の表現を展開して来たことにかかわりがあると推察するのは容易だが、伝統または因習として理解できる問題とは少し違っているように思う。

寓意と言っても、私が問題にしようとしているのは、登場する狸は政治家Aを、狐は政治家Bを諷刺しているといった類の表現ではない。具体的なモデルがあろうとなかろうと、書かれたことばが、近代以降のリアリズムの枠をはみ出てしまって、別の意味に転じてしまうような文体のことである。寓意の骨格が見えるのに、それが何だとは特定できない、しかし何かがたしかにたちあがることばの感触のことである。

 妖精は酢豚に似ている絶対似ている/石田柊馬

『セレクション柳人・石田柊馬集』(二〇〇五年)に収録された一句。以前にもここで一度言及したことがある。実在の妖精を見たこともないのに言うのもあれだが、その外見も匂いも味も、たぶん酢豚には似ていないだろう。と言うか、似ていてはならないと思う。それをこうして結びつけているところに、既成概念に対する破壊衝動を読むことで、とりあえず一句の解釈は成立する。しかし、読んでいるうちに、これは単にあの妖精のことだけを言っているわけではないのかも知れないという感覚も生じて来る。リアリズムでは、それが、表現の事実性の強度から来る象徴としてあらわれる。ここでは、そもそも妖精そのものが問題にされているのではない、という、寓意の様相を帯びている。具体的事実が語られているとは見えないのに、何かを明確に言い当てている感じがある。妖精は置換可能な対象であり(カリスマ的政治家とか、人気タレントとか、その候補をあげるのは容易だと思われる)、リアリズムはそれを表現上の甘さや緩さとして捉えるが、この句が見せようとしているのは、その置換可能な枠組全体なのである。リアリズムの理屈はここでは通用しないだろう。

このような寓意という視点に立つと、現在の川柳の或る領域の作品群が、寓意のパラダイスにも似た状態を見せているのがわかる。短歌や俳句のリアリズムがそれを拒めば拒むほど、寓意は、川柳の大きな特徴として浮かびあがることだろう。共感でも思いでもない川柳のありようを、私はしばらく、こうした寓意のなかに見てみたいと考えている。以下、私の好む寓意的な川柳を列記してみる。

 いもうとは水になるため化粧する/石部明
 この世からはがれた膝がうつくしい/倉本朝世
 立ち入ったことを餃子のタレに聞く/筒井祥文
 よろしくね これが廃船これが楡/なかはられいこ
 永遠に母と並んでジャムを煮る/樋口由紀子
 そこそこの幽霊になりそこいらに/広瀬ちえみ
 空き瓶を持ち上げ雌雄確かめる/丸山進

二月は二十日、三月は二十日に、ねじまき句会の例会があった。二月は東別院の名古屋市女性会館で。出席者は、新しいメンバーを含めて九人。題詠「閉」と雑詠の各一句を提出。無記名の詠草で選句して、一句一句の読解と批評を進めた。三月は都合がつかず欠席となったが、題詠「間」と雑詠の各一句を提出。選句でのみ参加した。メンバーがやや増えてかなりにぎやかになった。うれしいことだ。企画者の一人としての使命はそろそろ果たせたのではないか。ただし、小さな達成感や満足感にひたることが、句会にプラスに作用するはずはないとも思う。次のステップを積極的に求める必要はありそうだ。私が句会に提出した川柳は以下の四句。前の二句が二月、後の二句が三月の分である。

 開閉開閉開閉開閉開まだ五階/荻原裕幸
 浴槽が急に苦情を言いたてる
 梅と海との間でなにか音がする
 誤植したみたいに犬が殖えている

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