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March 27, 2011

永井陽子に導かれて

十六日、午前、長久手の愛知県立大学へ。あいち国文の会の研究会で発表をする。題目は「歌人・永井陽子の世界 ことばとこころの距離」。もっとも、私の場合、発表とは言っても、研究者ではないので、歌人の視点からの講演ということになる。永井陽子さんが生前に自身の手でまとめた六冊の作品集を紹介しながら、方法の変遷をたどるように作品を読解してみせた。出席者は60人超だったという。発表後の総評的な発言のなかで、島津忠夫さんが、言及する対象を六冊に絞ったことを評価してくれた。遺歌集『小さなヴァイオリンが欲しくて』(二〇〇〇年)は、第六歌集『てまり唄』(一九九五年)以後の永井さんの作品の全貌を見せてくれる佳い歌集で、話す側としては題材にしやすいのだが、全貌が見えるというのは、言い換えれば、こだわりが見えにくいということでもある。そのような観点からの評価であった。私は、島津さんの発言を聞きながら、永井さんの全歌集の編集に尽力した青柳守音さんが、遺歌集を全歌集に入れることを永井さんは望まないのではないかと悩んでいたのを思い出した。結局それは、読者的な立場からの判断で収録されることになったのだが、私のなかのどこかに、生前の青柳さんの悩んでいる姿が残っていて、それが今回の話に作用したのかも知れない。

当日配布した資料に、永井陽子さんの歌人としての活動を簡単にスケッチした文章を載せた。若干修整してここに掲載しておきたい。「一九五一年生。二〇〇〇年没。高校時代から短歌を書きはじめた。結社誌「短歌人」に所属する傍ら、他の同人誌、超結社グループでの活動も盛んだった。とりわけ「歌人集団・中の会」においては、一九八三年のシンポジウム「女・たんか・女」にパネラーとして出演するなど、当時の女性歌人の中心的存在の一人として頭角をあらわした。そうした経緯が、永井陽子を現代の女歌の系列の歌人と誤解させている面もあるようだ。フェミニズムに近づこうとした、あるいは、女性であるという人間的属性から出発しようとした一九八〇年前後の女歌の流れは、永井の作風とは縁の薄いものである。永井の特徴は、口語的で軽快な文体、散文的なテーマにこだわらない音楽的な文体にあり、リアリズムを中心とした近代短歌の批判的継承にあると言えようか。一九八〇年代に起きた現代短歌の変容の先駆的存在であるのはあきらかで、その面からの短歌史的位置づけが必要であると考えられる。」

当日話したことに関連して一点だけ。永井陽子さんの第一句歌集『葦牙』(一九七三年)には、短歌百十三首と俳句九十七句が収録されている。初版の刊行部数は三百部だったそうだ。私は、全歌集で復刻されてはじめてその全体を読んだ。とりわけ、それまでは引用を目にすることがなかった、つまり、言及されることが皆無だった、永井さんの俳句が気になっていた。

 クマンバチが私の視線を折りに来る/永井陽子
 乳母車を押そうどこまでもしろい道
 にぎりこぶしを開けば何もない秋野
 消しゴムであしたを消してしまい 雪

引用したのは、順に、春夏秋冬をイメージさせる句で、春秋冬は各季語を含んでもいる。ただ、季語も他の名詞も、時間や空間の具体に向かって作用せず、すべて寓意的に何かを示唆しているように見える。それと、一般に短歌を中心に見たとき俳句に対して感じられる半身性がここにはなく、一句がそれだけでボディ全体であろうとしているように感じられる。ここにあるのは、五七五というフォルムによる詩の試行であり、俳句、川柳、一行詩、のどれにもそれなりに似て、どれにも属さないようなテキストである。短絡的な結論は避けなければならないが、その後の永井陽子の短歌の展開が、ジャンルの表現史に直につながるよりも、定型との対話に重きが置かれているように見えることと、これは深いかかわりがあるように思われてならない。

第二歌集以後の短歌の方法の変遷については、永井陽子論としてきちんとまとめたいと考えているので、機会をあらためることにする。以下、備忘録的に。島津忠夫さんから、永井陽子さんの俳句の作風については、村田治男さんとの交遊が影響していたらしいという情報を得た。詩歌句すべてのジャンルの作家である村田さんの名前を聞いて、なるほどと腑に落ちるものがあった。宮崎真素美さんからは、私が引用した永井さんの作品のいくつかが、『測量船』の本歌取なのではないか、他にも三好達治の影響があるのではないかと意見をもらう。「甃のうへ」と「あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ」については、私も感じるものがあったが、前述の「乳母車」の句はそう言われるまで気づきもしなかった。要チェック事項だと思われる。久冨木原玲さんからは「べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊」など、永井さんのことば遊び的なレトリックについて、万葉集の無心所著歌や藤原定家の達磨歌につながるものではないかと意見をもらう。古典和歌とことば遊びとのこの話の流れ、どこかで聞いたことがあるような、と思ったまま、数日を経て、はっと気づいて本棚から論文集をひっぱり出してみると、はたして「和歌とことばあそび」と題されたその論文の筆者は久冨木原さんであったのだった。

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Comments

地震に伴うバタバタ、その直後にインフルエンザにかかってしまい、出席すること叶いませんでした。はあ・・・。(溜息)
宮崎先生も久冨木原先生もお元気そうで何よりです。(私は宮崎先生のゼミ所属でした)

Posted by: 原 梓 | March 30, 2011 at 02:41 PM

>原梓さん

地震もインフルエンザも大変だったね。
コメントもらえてうれしかったし、
ちょっと安心もしました。
無理せずに日々をお過ごし下さい。
女史たちは、元気と言うか、
とてもパワフルな感じでしたよ。
宮崎ゼミ、今からでも受けてみたいです。

Posted by: 荻原裕幸 | April 01, 2011 at 07:15 AM

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