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April 15, 2011

桜の街の満開の下

震災からすでに一か月を過ぎている。被災地とその周囲では大きな余震が続き、一万人を超える行方不明者は行方不明のままである。福島第一原発については、どれほどの距離を保てば安全なのか、はっきりとしない状態が続くなかで、事故のレベルをどう評価するかが取り沙汰されたりしている。テレビの編成は、常態に戻りつつあるようだが、何か奇妙な清潔感に支配されている。震災の前にはたしかにそこに遍在していた愚痴っぽい感じ(政治不信とか漠然とした不況とか高齢化などを綯い交ぜにして日本の社会に不満を抱えている感じ)が薄れて、震災にダイレクトにつながる報道系の番組と、たとえ被災者へのメッセージを添えようとも震災の具体感を一切連想させない明るい印象の番組やCMとがこもごもに流れている。一つになろう、みんなでがんばろう、等のフレーズが何回も繰り返されている。

先日、友人同士での定例の読書会があって、前回に続き、マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』(二〇一〇年、鬼澤忍訳)の後半を読み進めた。この本の誕生のきっかけになったサンデルのハーバード大学での講義は大人気で、日本のテレビでも放映されているらしい。政治について議論するためのテキストとしては格好のもので、少し正確さを欠く言い回しになるが、人々の良識の範囲で何とかなるのではないかと感じられる問題が、突きつめると実は何ともならないのだという結論を、これでもかとばかりにぶつけて来る。共同体主義(コミュニタリアニズム)に対して、どこかに偏見がある私には、いささか重苦しくも感じられた。共同体に理想の状態を求めることを、主張としては理解も納得もできるのだが、どうやら、世の中は何ともならない、古風な自由主義のなかで綱渡りを続ける他ない、と感じている私の意識のダークサイドのような部分が反撥してしまうらしい。

先日、所用で泥江町(ひじえちょう、と読む)に行った。泥江町は町名ではなく交差点名である。名古屋駅の側から見ると繁華街の端、那古野の側から見ると下町の端にあたる。いまや名古屋国際センターの交差点と言った方が通りのよくなりつつあるそこには、三つの角にかなり大きな桜の樹があって、とても綺麗な満開の花を見せていた。桜の季節に行ったのははじめてだった。と言うか、何回も行っているのに、そこに桜があることにずっと気づかずにいた。ひるさがりの通行人の多くは、見慣れているからなのか、関心がさほどないのか、中空に視線に向けることもなく、淡々と通り過ぎてゆく。付近のコンビニの前からぼんやり眺めていると、一人の男性が、桜に気づいて立ちどまり、眩しそうな表情で眺めた後、おもむろに携帯電話を取り出して写真を撮りはじめる。しばらくは撮った画面を楽しんでいる風で、やがて満足そうな微笑を浮かべて立ち去って行った。

 ケータイに春は小さく収まつて世はこともなくないのにしづか/荻原裕幸

先日、山崎川にかかる小さな橋に立つと、八分でもない、散りはじめでもない、満開以外の何ものでもない桜がそこにあった。花見に時間を割くだけの余裕がなく、所用で外に出た流れで慌ただしく立ち寄った山崎川は、それでも、桜の名所らしい、例年通りの艶麗な表情を見せてくれた。ほんとにただのひとひらも散ってないなと思いながら眺めていると、にわかに風が吹いて来て、花びらが宙に舞った。風が止むと、時間が止まったように花びらが宙にとどまる。やがてゆっくりと川面に向かって落ちはじめる。それから何秒も経たないうちにもう一度風が吹く。川面に向かっていた花びらが巻きあげられて、今度は橋の上に向かって迫って来る。なかのひとひらはほとんど一直線にやって来て、私の眉間にやわらかくあたった。こどもの指が触れたようなそんな感触だった。

 それ以上でも以下でもなくていまここに桜が咲いて私がゐる/荻原裕幸

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April 06, 2011

四月になれば日本は

震災後、自粛を求める空気があきらかに広がった。たぶんこれはパニックの一種なのだろう。現在の日本人の多くは、生命や尊厳の維持という意味で不可欠なものや、広義の生活の充実という意味で価値のあるものや、それら以外の不可欠でも価値があるわけでもないものに囲まれて暮らしていると思う。何が不可欠で何が価値があって何がそれら以外なのかは、個人によって異なるわけだし、この異なりは、個人の人格や個性や価値観などによるものだと考えられる。私が自粛の空気をパニックの一種だと感じるのは、一時的であるにせよ、あらゆることを不可欠か不可欠でないかという尺度で共同的に判断させて、人々をゆるやかな画一化に向かわせるからだ。気遣いにも個人差があるのが自然ではないだろうか。

三月二十四日の朝日新聞の夕刊、中部版学芸欄に、隔月連載の詩歌句時評「東海の文芸」が掲載された。今回は、人見邦子さんの第六歌集『春風つかむ』(六花書林)と若山紀子さんの詩集『若山紀子詩集』(新・日本現代詩文庫、土曜美術出版販売)をとりあげた。分量は四百字で四枚半弱である。冒頭、震災に関連する件から書きはじめた。詩歌句の作品は、必ずしも日常をモチーフに書かれるものではないが、作品が書かれる場所はこの日常であり、震災が起きたのと同じ空間である、ということを私のなかの誰かに言い聞かせるように書いていた。ともあれ、作品を作品としてできるかぎり丁寧に読んで、ふだん通りの批評をするためにベストを尽してみた。ふだん通りに何かをするというのは、肩の力を抜くことではなく、全力でそうあろうとすることだと再認識させられた。

三月二十八日の、砂子屋書房のホームページのコラム「日々のクオリア」で、黒瀬珂瀾さんが、第四歌集『世紀末くん!』(一九九四年)の一首を鑑賞してくれた。短歌史にダイレクトにつながるところのほとんどない作品をめぐって、こんなに自然な筆致で鑑賞を展開しているのに舌を巻いた。秋山参謀のくだりなど、無意識とも自覚的とも判断できないはずなのに、マジカルに作品の背景に定着させていてとても興味深い。黒瀬さん、どうもありがとう。この一首を書いた頃の私は、わからないと言われることにどこかで慣れはじめていた。それでも、わかる人にだけわかってもらえばいい、という心境にはどうしてもなれなくて、短歌を楽しみながらも耐えるような時間が続いた。孤独感、と言うか、孤立感を深めていた時期だったように思う。

三月十八日と四月一日、午後、栄のスカイルへ。朝日カルチャーセンターの講座「はじめての短歌」。十八日の出席者は10人。詠草は10首。題は「大」。大阪府から一字をもらった。一日の出席者は12人。詠草は12首。題は「庫」。兵庫県から一字をもらった。いつもの通り、詠草を一首ずつその場で読み解きながら、添削的な批評を進めた。一日の題の「庫」では、文庫が圧倒的多数で、倉庫、冷蔵庫、車庫がそれに続き、浜口庫之助も登場した。浜口庫之助の作者は、説明もかねて、「大人になれば」(オザケンのではない)をアカペラで歌ってくれた。各回の講座で題詠の作例として見せたのは以下の二首。二首目の、金庫の歌、ホワイトボードに書いて読みあげたらみんなに笑われてしまった。笑われるのは、しかし、悪くない気もする。

 春のひかりに紛れて見えず何かしら大きなものがそこにゐるのに/荻原裕幸
 金庫などといふものはない荻原家はるのひざしのふかみに沈む

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