October 28, 2005

2005年10月28日(金)

先週末から慌ただしい一週間だった。どうにか落ち着くかなと思ったら、題詠マラソンの投稿締切が次の月曜である。あと40首か……。「現代詩手帖」11月号が届く。短歌時評「うたの凹凸」と特集「岡井隆 来たるべき詩歌」に一首鑑賞を寄稿した。この特集、ある程度の予想はしていたが、予想していた以上に面白い。ざっと通読して、それから熟読をはじめる。結社誌「短歌人」11月号が届く。特集「猫と短歌」というタイトルに惹かれて読みはじめると、生沼義朗さんと斉藤斎藤さんが、文中でぼくの猫の歌に言及してくれていた。感謝。小学館のドラえもんルームから郵便が届いて、何かと思ったら枡野浩一さんの『ドラえもん短歌』だった。ドラえもん題詠集。こんな歌、いいな。

ジャイアンがもうこの町にいないのは空き地が消えたせいなのだろう/佐々木あらら

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October 27, 2005

2005年10月27日(木)

午後、某社から電話で書評の依頼。面白そうな、でも、難しそうな本。ちょっと考えこんだが、ひきうける。俵万智さんの歌集『プーさんの鼻』(文藝春秋)が届く。出産と子育てをメインモチーフにした歌集というのは、かなりたくさん読んだけれども、こんなにほほえましい気分になるのははじめてか。哀愁はあっても憂鬱がない。作者の個性、と言うよりは、方法論に近いものなのだろう。単純に表現史のコンテクストにのせると批判のポイントも多く見えるが、この徹底したほほえましさの世界は、そうした批判の埒外にあるのかも知れない。少し時間をかけて考えてみようと思う。

ぽんと腹をたたけばムニュと蹴りかえす なーに思っているんだか、夏/俵万智

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October 26, 2005

2005年10月26日(水)

午後、中京大学へ。講座「俳句を楽しむ」の六回目。「めくられてゐる坂道や秋の雲/上田信治」等、俳句誌「里」10月号から何句か紹介させてもらった。今季もこれで折り返し。講義のあと、家人と某百貨店の「大北海道展」へ。そんなに味は違わないだろうと思いながら買った蟹やらじゃがいもやらのコロッケがやけにおいしかった。夕刻からは栄へ。575の会の月例句会。朝日新聞中部版夕刊に詩歌時評のコラム「東海の文芸」が掲載される。400字×約4枚。加藤哲也句集『舌頭』(富士見書房)、丸山進句集『アルバトロス』(風媒社)、春日井建『未青年の背景』(雁書館)、近藤起久子詩集『レッスン』(ジャンクション・ハーベスト)に言及した。

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October 22, 2005

紙ピアノの鳴る夕べ pieces of voices

伊津野重美さんの第一歌集『紙ピアノ』(風媒社近刊)の刊行を記念して、
以下のイベントが開催されます。ご来場いただけましたら幸いです。

【日時】2005年10月22日(土)17:00開演(16:30開場)
【会場】LAPIN ET HALOT(ラパン・エ・アロ)
    東京都渋谷区神宮前5-44-2
    電話03-5469-2570
    ※地下鉄銀座線・千代田線・半蔵門線表参道駅A1、B2出口徒歩5分
    http://www.lapin-et.com/about/
【朗読】飯田有子、佐藤りえ、田中槐、東直子、広田栄美、穂村弘、伊津野重美

【料金】前売2,300円/当日2,500円 ※前売予約は10月20日まで
【予約・問い合わせ】officePigeonblood@hotmail.co.jp
※小学生以下のお子様のご同伴はご遠慮下さいますようお願いいたします。

【企画・制作】pigeonblood
【写真】岡田敦
【協力】荻原裕幸
※詳しくは、http://homepage2.nifty.com/paperpiano/をご参照下さい。

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October 03, 2005

2005年10月3日(月)

午後、同朋大学へ。講義が終了したあとそのまま今池のTOKUZOへ。福島泰樹さんの短歌絶叫コンサートを聴く。なんとか開演前にたどりついて、一人でぼんやりしていると、加藤治郎さんがあらわれる。高井志野さんや若原光彦さんも来ていた。寺山修司、春日井建、塚本邦雄、と、死者たちの作品とその追悼歌が福島さんの声のなかでひとつにとけあってゆく。読経という様式的なことばでは鎮まらない何かが鎮まってゆくような不思議な気分になる。春日井、塚本、という実際に自分も交誼のあった人への追悼歌を聴いて、福島泰樹の朗読がある種の読経でもあるのだということをはじめて理解できたのだった。

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May 20, 2005

2005年5月20日(金)

加藤治郎さんが6月中旬から毎日歌壇の選者に就くことになった。慶祝。加藤さんの歌壇的な活動については、以前、「賞賛も批判もこもごもに浴びながら、しかし、加藤治郎以前と以後とを、あきらかに違う風景として歌人たちの眼前に展開してみせた」と書いた。今回もまたそのような新しい風景を見せてくれることと思う。新聞選者というイメージが大きく変わるきっかけともなるだろう。きのうはオフにする予定が変更になり、仕事と書斎整理の日になった。きょうは半日をオフにして、松坂屋美術館へ家人とミュシャ展を観に行く。点数を集めただけの企画とは違って、かなり見ごたえのあるものだった。

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May 15, 2005

2005年5月15日(日)

きのう、高木孝さんの第一歌集『地下水脈』の批評会で上京。参加者は30名ほどだったかと思う。田中槐さんの司会で、快く話のできる会だった。ぼく自身は栞文の範囲を超えない意見しか出せなかったが、この歌集の過剰な多様さにとまどいをおぼえる人が多かったようだ。編集的な見地からするとどうかという質問を田中さんからふられて、一冊のテーマかコンセプトをもう少し見えやすくするように勧めると答えたところ、実際の編集者の柳下和久さんも同じことを勧めたと言っていた。高木さんがそれを拒んだというのは、明確な考えに基づいてのことだとは思うが、多少計算違いがあったんじゃないかと感じたのは、高木さん自身がオペラではなく交響曲のようにまとめたかった、と言っていた点である。凡庸な筋書き/フレームをあえて利用した方が、読者は交響曲を聴くように、意味にこだわらずにすらすら読んでくれるものではないだろうか。筋書きやフレームを見せないようにすると、読者はかえってそこにこだわり、迷宮的状態に陥りやすい。音楽では意味が邪魔になるかも知れないが、文字表現での意味は、それが凡庸であればあるほど意味をなさず、むしろすらすら読める気がする。深夜、帰名。日帰りでの東京はなかなかきついものがある。きょうもまた仕事をしながら疲れをとるという事態になった。

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April 26, 2005

「短歌」5月号に執筆

角川書店「短歌」5月号が届いた。特集は「栗木京子」。「愛誦性を超えて−栗木京子の言葉の位相」と題して400字×10枚を執筆。『水惑星』『中庭』の作品を中心に、ことばをめぐる栗木さんの方法意識について、感じていることをシンプルにまとめてみた。

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April 10, 2005

2005年4月10日(日)

オフではなかったものの、どこかぼんやりした感じだけが残る一日。石井辰彦さんのウェブ日記に「私の韻文の作品は、どれも短歌なんですけど……」というくだりがあって、この人の、あたりの柔らかな、しかし短歌観をめぐる断固たる自信に、説明しがたい微笑を浮かべてしまった。ただ、石井さんが、馬場あき子さんや他の誰かに「たまには短歌も書きなさいな!」と言われるのは、短歌観の問題ではなく、連作の一首一首があまりにも緊密な構成をとるからだろう。連作を一首一首にほぐしたとき、その一首だけで読める、意味がわかるだけではなく作品として独立している、と感じられる作品の比率があまりにも少ないと、三十一文字×自然数という形式で構成された短歌ではないもの、と読者に判断される可能性はおのずと高くなるのではないだろうか。数値を正確に言って線引きできる話ではないけれど、これはやはり「比率」の問題だと思われる。

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March 25, 2005

2005年3月25日(金)

電話が鳴る。電話をかける。電話が鳴る。話している最中に携帯電話も鳴る。電話をかける。ファックスが来る。電話をかける。電話が鳴る。という感じで時間が過ぎていった。メールのやりとりが嵐のようになるのは珍しくないが、ひさしぶりにとても電話な一日だった。柴田瞳さんの第一歌集『月は燃え出しそうなオレンジ』について、一昨日、漠然とした感想を書いただけで、具体的な作品のことを書いていなかった。以下に引用するような、俵万智さんの、とりわけ硬質な部分からの影響を感じられる作品に、柴田さんの原型、あるいは、その人らしさみたいなものが見えるように思う。巧さの部分と個性とがきちんとリンクしていると言ったらいいだろうか。歌集後半に多くあらわれる、会話体を活かした作品もそれなりにおもしろかったけれど、やや性急に定型にことばを入れこんだ感触があった。自己の文体という観点を重んじるならば、以下の原型的文体をベースに会話体を活かしてゆく道筋もあるのではないかと感じたのだった。

 進路志望調査の紙を渡されて何とはなしに見る梅の花/柴田瞳
 迷いつつ行けば室蘭ナンバーの車に追い越される夏の旅
 美人なら何をやっても許される嘔吐しそうな不条理をみた
 忘我してしまいたい空 南天の紅きがそれを許しはしない
 必要がないから退化したはずの翼が疼くような三月

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