October 28, 2005

2005年10月28日(金)

先週末から慌ただしい一週間だった。どうにか落ち着くかなと思ったら、題詠マラソンの投稿締切が次の月曜である。あと40首か……。「現代詩手帖」11月号が届く。短歌時評「うたの凹凸」と特集「岡井隆 来たるべき詩歌」に一首鑑賞を寄稿した。この特集、ある程度の予想はしていたが、予想していた以上に面白い。ざっと通読して、それから熟読をはじめる。結社誌「短歌人」11月号が届く。特集「猫と短歌」というタイトルに惹かれて読みはじめると、生沼義朗さんと斉藤斎藤さんが、文中でぼくの猫の歌に言及してくれていた。感謝。小学館のドラえもんルームから郵便が届いて、何かと思ったら枡野浩一さんの『ドラえもん短歌』だった。ドラえもん題詠集。こんな歌、いいな。

ジャイアンがもうこの町にいないのは空き地が消えたせいなのだろう/佐々木あらら

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March 24, 2005

2005年3月24日(木)

深夜に仕事をする生活が続いている。午前、強引に目覚め、午後からの打ちあわせのだんどりをまとめる。午後、栄へ。Sさんの歌集批評会の打ちあわせ。取材みたいな感じで希望を聞きながら、具体的なかたちへとまとめてゆく。打ちあわせの後、すぐに会場もおさえる。夕刻、上前津へ。風媒社で打ちあわせ。夜、帰宅すると待ち構えていたようにファックスが入る。「Judy」の表紙のデザインラフだった。Oさんと電話で打ちあわせ。批評会の仕事をお願いする数人に電話を入れる。深夜、題詠マラソンの感想サイトをいくつか読む。ひぐらしひなつさんの「ゴルゴ31」、村本希理子さんの「とうざいなんぼく」、やそおとめさんの「朱華掲示板」等。作品を選んで感想を書いてもらえるのは、雑誌への投稿が入選したみたいでうれしい。感謝。

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March 16, 2005

「短歌往来」4月号に執筆

ながらみ書房から「短歌往来」4月号が届く。岡井隆歌集『馴鹿時代今か来向かふ』の書評「時の流れと方法意識」を執筆した。400字×3枚半。文中で触れる余裕がなかったが、このところの石井辰彦さんとの編集や朗読企画を通じての岡井隆さんの方法意識の突出が、この私的な時の流れをフレームとするタイプの歌集にも、弾み、のような感触を与えているのではないかと推察される。ここに付記しておく。また同号の、菊池裕さんの「マルチメディアと短歌のゆくえ」では『短歌、WWWを走る。』の解題文に、鈴木竹志さんの「歌誌漂流」では「井泉」創刊号の「秀歌と愛誦歌とリアリティ」に、それぞれ教導的に言及してもらえた。考えを進めてゆく参考にしたいと思う。感謝。

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February 26, 2005

2005年2月26日(土)

午後、コンテンツワークスから、Mさんの歌集の製本サンプルが届く。最終的なチェックを進める。短歌誌「塔」2月号が届く。西之原一貴さんが「ポスト〈私性〉論の行方(1)」と題した短歌時評で、短歌に対するこのところのぼくの現状認識を整理し、考察を加えてくれた。感謝。今後の展開にも注目したい。夕刻から夜にかけて、遅れていた歌集書評の原稿を書きあげる。メールで入稿。電脳短歌イエローページ、あすで開設以来満7年となる。スタッフとしていつも助けてもらっている、玲はる名さん、ひぐらしひなつさん、掲載各サイトの運営者さんならびにユーザ諸氏に深く感謝いたします。

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January 29, 2005

2005年1月29日(土)

二日続けて早朝に起きる。少し調整ができたかな。長くはもたないような気もするけど……。午前から午後、書評と時評のためのメモをつくりながら、いくつかの歌集をじっくり読む。夕刻、家人とウォーキング。ただし途中で食べたりとか書店に行ったりとか。「塔」1月号、林泉さんにまとめていただいた昨十一月の東海支部大会の講演要旨が掲載されていた。感謝。きのう書いた「厚み」に圧倒されたのか、しばし見落としていた……。

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January 28, 2005

2005年1月28日(金)

午後のひかりがすでに春のような印象だった。歌誌「塔」1月号、通巻600号が届く。240ページという厚みに圧倒される。通常の号はもう少しコンパクトなわけだが、それにしても、「塔」をはじめとした大手の結社誌の情報量はものすごい。600号を機に、松村正直さんが編集長になるという。どんな誌面を展開するのか、期待したい。青幻舎から『永井陽子全歌集』が届く。初期の未読作品を読んだり、藤原龍一郎さんの解題を読んだり。『てまり唄』の解題に、ぼくの書いた書評が引用されていたのを読んで、当時をぼんやり思い出す。永井さんにも自分のなかにもある暗く重い何かにどうやって浮力を与えるか。そんなことを考えていた気がする。年譜の文責以外にはクレジットされてないようだが、この本のプロデューサーとも言える青柳守音さんに深い敬意を捧げたい。

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January 24, 2005

2005年1月24日(月)

暖かい一日だった。午後、Aさんから電話。いつも明るい人なのだが、ことさらに上機嫌だった。歌誌「未来」1月号の時評で、中沢直人さんが、岡井隆さんの歌集『馴鹿時代今か来向かふ』の「馴鹿」について触れているのを、先日からしばらく考えていた。「わかるわけのないトナカイ語を、わかつたふりをして読んでゐるやうな時代が、少くとも、現代の短歌には訪れて来てゐる」という巻末記の一節を「また会議ねえまだ会議トナカイのことばでも研究してるのか?/荻原裕幸」からも解いていたからだ。他に「通勤の電車のなかにあらはれて女子学生がしやべるきりん語/荻原裕幸」という一首もあって、理解不能の動物語の類をぼくがあれこれ書いたので、たまたま重なった、という経緯かと思う。中沢さんの言わんとするところはもちろんよくわかるが。夜、某メディアのSさんから電話で取材をうける。小一時間ほど話す。

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January 11, 2005

2005年1月11日(火)

午後、丸の内へ。ねじまき句会の例会。11回目。出席者は9人。「松」という題が何かを歪ませていたのか、司会をしながら読み悩む句が多かった。例会中に携帯電話が何度か鳴る。コール音に昔の黒電話の音を設定してあるのだが、なぜかそれを笑われてしまった。おかしいかな? だって電話が鳴っているってよくわかるから、と主旨を説明したらさらに笑われた……。例会終了後、有志で食事をする。魚柳志野さんの「魚柳徒然」は愛読しているウェブ日記。しばしば不意打ちを喰らう。なぜマシュマロだってわかったんだろう?

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December 26, 2004

2004年12月26日(日)

書斎は暖房を使えないほどちらかっているし、かたづけは進まないし、しかも煙草を吸うために終日窓を開けたままにしてあるので、かなり寒い。暖冬でなければ悲鳴をあげていたか、あるいは、必要に迫られてとっくにかたづけが済んでいたかな……。菅野耕平さんの23日付のウェブ日記に「短歌の輪郭と枡野浩一の位置」の感想が書かれていて、なかで『これまでの短歌が「普遍を見出そうとしていた」ようには感じない』という記述があった。おそらく短歌的なリアリズムのことを言っているのだろうが、近代以降の短歌がしばしば個人的な時間や空間を描くのは、そのような個人的な時空が、普遍的な(これは「一般的な」と言うのが正確かも知れない)何かを象徴的に表現する、という考え(ないしは作者や読者の無意識の約束)に基づいているからだとぼくは思っている。普遍のよしあしはともかくも、そうみなすのは、ともすれば私事に終始しがちな多くの短歌作品に対して、合理的な説明になるのではないだろうか。

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December 18, 2004

2004年12月18日(土)

午後、気づいたら短歌ヴァーサスのウェブの様子がおかしい。12月分のアーカイブが表示されなくなっている。編集部の林さんに問いあわせると、管理をお願いしているTさんには連絡済みとのこと。しばらくして復旧した。数人からメールで問いあわせをもらう。ご迷惑おかけしました。ちなみに同ウェブ、アクセス数が本日付で20000を突破した。ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。短歌ヴァーサス第6号の見本ができあがる。夕刻、実物を確認するために風媒社へ。「歌壇」1月号、特集「短歌のゆくえ」、特集全体についてはまだ仔細に読んでいないが、井口一夫さんが「『場』の時代−荻原裕幸の考察を追って」という評論で、ぼくの出した「場」をめぐっての見解に、とても丁寧に言及してくれていた。感謝。

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